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Channel: 情熱社長~情熱的なベンチャー企業社長のメッセージ~
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株式会社ITPM 代表取締役社長 宮崎 諭

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代表取締役社長 宮崎 諭

代表取締役社長 宮崎 諭

設立 2011年10月
事業内容
    • 人材紹介支援事業
    • システムエンジニアリングサービス事業
    • 上記に付帯する業務
会社HP http://www.itpm-gk.com

学生起業でレコード店を開業

エンジニアとして13年くらい働いていましたが、
エンジニアになる以前はというと、学生起業でレコード屋をやっていたんですよ。
理由も簡単で、音楽が好きだったからです。
レコードを集めているうちに海外へ買い付けに行くようになったんですが、
渡航費もバカにならないということで、
「余ったら売ればいいや」といつも少し多めに買って帰ってきてたんです。
その流れで自然にレコード屋を(笑)。
それでも月に数十万くらい売り上げていましたから、学生の収入としては十分でしたよ。

レコード屋は確かにやっていて楽しかった。
好きなことだったし、売上もしっかりしていましたしね。
ただ、このまま一生レコード屋をやるのかって言われると、それはないなと思いましたね。
ちょうどその当時はITバブルの時代でもあったので、
面白そうなITの世界に足を踏み入れることにしたんです。

またITが普及し始めた頃だったので、メールを送ることはできても、
なぜ送れているのかを説明できる人が周りにいなかったんですよね。
だから操作よりもITの仕組みそのものについて知りたい、学びたいと思いました。

ITの仕組みが知りたくて…

そうは言っても仕事の決め方はとても安直(笑)。
求人情報誌をパラパラとめくって、内容をよく読みもせずにフィーリングで選びました。
最初に就いた仕事はコールセンターの仕事。
当時は光ファイバーなんてものは殆どなく、ADSLがサービスを開始した時代。
そこでの電話サポート業務でした。
ADSLを契約したけど全然インターネットが出来ない、Webページの表示される速度がもの凄く遅い、
といったトラブルの電話対応をひたすらこなしていました。
口頭で説明するには知識がないとうまく対応できません。
そこで自分でも理解するために勉強をして、
ようやくインターネットの仕組みやメールがどうやって送られているのかなどを理解していったんです。
とりあえず第一の目的は達成したというわけです(笑)。

肩書きこそ「テクニカルサポート」という立派な名前がついていましたが、
自分たちはあくまでも電話で対応するだけ。
実際に現場へ行ったり、最終的なトラブルを解決したりするのはエンジニアでした。
だから何か問題があるとエンジニアの人たちに依頼するわけですが、
まあ彼らが偉そうなもんで(笑)
「この人たちはどんな仕事やってんだ?」と今度はエンジニアに興味が湧いてきて、
運よく海外で勤務する経験をした後、あるベンチャー企業に社員第1号として転職することに。
そこでエンジニアとしての経験を積み、その後は某IT上場企業へ転職。
そこで目の当たりにしたのがエンジニアが置かれている現実でした。

同じ業界にいても知らなかったエンジニアの現実

自分もエンジニアとして10年以上働いてきたのですが、
業界が今より活況だったことや、所属していた会社の方針もあり、
ベンダーと言えどもお客様と直接取引する形がほとんどでした。
というか、実際はあまり意識しないで働いていたのだと思いますが。。

この現実に直面したのはつい数年前のことでした。

自社の開発プロジェクトにPLとして参加する事になり、
ベンダー(=エンジニア)に仕事を発注して頼むことになるのですが、
そこで目にしたのが彼らの待遇の悪さでした。
あんまり詳細は言わない方が良いと思うのですが、様々な問題がエンジニアたちを苦しめていたのです。

給与は安い、仕事はキツい、自分の希望は中々叶わない。
これが現実なのですよ。と心が折れている人たちが多い事に大変な驚きを覚えました。

何とかプロジェクトは無事に終了したのですが、その時の皆の顔が忘れられず、
知人等も含め、色々リサーチをした結果、
どうもこれは業界ではごく当たり前の事なのだという結論に達しました。

リーマンショックの影響などもあり、エンジニアへも少なからずしわ寄せはあると感じていましたが、
まさかこれほどだとは思いもしませんでした。
「これじゃエンジニアたちに希望や夢がないのは無理もない。このままではマズイ」と危機感を覚え、
少しでも彼らエンジニアの環境を改善したいとの思いから会社を立ち上げることになったのです。

すべてはエンジニアのために

HPはそろそろ作り変えなきゃなんですが、最近ようやく固まって来た当社の理念は
「自らの付加価値を見い出し、社会に貢献できる人間たれ!」
という言葉に尽きるのではないかと思います。

自分に付加価値がつけば、できることの幅、奥行きが広がる。
もちろん給与も上がります。
そして最終的には自分の事だけでなく、社会にも貢献できるような人間として成長して欲しい。
会社はそのバックアップの為に存在する。

ITPM(=IT People Management)という社名にもそんな思いを込めました。
だから会社作りにも随所に「エンジニアのために」という創業当初の思いが強く見られます。

例えばシステムエンジニアリングサービス事業では、
全ての案件情報をエンジニア(社員)たちに開示します。
そして仕事内容や給与面など、自分の望む条件と合致した案件を選んで
仕事に就くことができるようになっています。
エンジニアの希望は十人十色。
ワークライフバランス重視、仕事内容重視、給与重視、勤務場所重視…本当に人によって様々です。
ただ、全員が前職で叶える事が出来なかった事を当社では100%実現しています。
それによって、エンジニアは各現場で高いパフォーマンスを発揮しているので、
この考え方は正しいという確信に至っています。
その代わり、営業が尋常ではない努力をしなければなりませんが(笑)

当社の中途採用は未経験者も受け入れています。
ただ、新卒であればはじめからエンジニアだけを目指すのはやめた方がいいんじゃない?
と言わせて頂いています。
エンジニアに必要な要素は「技術力」よりも「人間力」です。
社会経験の無いままエンジニアとして進むよりは、
その前の段階で営業や人事といった多くの人に出会う機会のある業務に就き、
業界の何たるかを知った上で、それでもエンジニアがやりたい!となれば、
会社はそれを全力で支援したいと考えています。

あなたの未来は、あなたのやる気次第!

今後についてのやりたいことは社員からの声に極力任せるようにして、
私は人を育てることに注力していきたいと思っています。
テクニカルスキル+コミュニケーション能力を兼ね備えたエンジニアを抱えているのが
当社の強みでもありますので、
そういったエンジニアにどんどん成長して貰うためにも、
自社の育成システムを確固たるものにしたいという想いがあります。

そして一緒に働く仲間に求めることはやっぱり「やる気」です。
ただ、やる気というのは目に見えないものですから、いくら口で「やる気あります!」と言ったところで
相手に届かなければ何の意味もなくなってしまいます。
だからやる気があるという人には
「形にして見せて下さい」と課題を出すことにしていますね。
もちろん、その形は人それぞれですから、採用条件も人によって異なるというわけです。
一次面接から代表者である私が直接面接をするようにしていますから、
その部分をきちんと伝えてお互いにミスマッチが起こらないように気をつけています。

これから仕事に就く若者に伝えたいのは、
志望する業界のことをよく調べようということ。
とにかく興味を持って、アンテナを張って情報を収集して下さいということです。
どんな業界でも「何を目指すか、何になりたいか」が全てだと思うので、
その辺りのところはよく考えられた方が良いと思います。

そして起業を目指す方に伝えたいことは、「やってやれないことはない」です。
どんなことでも頑張ればきっと誰かが見ていてくれますし、手を貸してくれます。
周りからの応援を味方につけるためにも、とにかく一生懸命に頑張ることが大事だと思います。
願いはきっと叶います!


株式会社エー・アンド・ビー・コンピュータ 代表取締役 千葉宏一

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代表取締役 千葉宏一

代表取締役 千葉宏一

設立 平成15年6月
事業内容
    • Web開発事業
    • 業務システム開発事業
    • ネットワーク・インフラ開発事業
    • モバイル開発事業
会社HP http://a-b.co.jp/vision.html

起業の経緯

私は常に上昇志向を持った若者でした。
社長になりたい!そしていずれかは、経団連の会長になりたいと思っていたものです。

新卒で入社したのは現在の株式会社東芝の生産技術研究所。
それは、自分を伸ばすために留学をしたいという思いからでした。
当時は、会社が費用を出してくれて、
米国のスタンフォード大学への海外派遣というものがあったんです。
スタンフォードは、当時からベンチャーを育成するような環境がありました。
そこでの優秀で活発な起業家から受けた刺激が
私のトップになってやろう!という気持ちをさらに強めていったのです。

その後、誘いもあり新日本製鐵株式会社に転職。
これが私の成功体験の第一歩です。
ここでは、ノート型パソコンの事業の立ち上げを任されました。
事業計画、マーケティングなど新規事業に関連することを全て行うことになったのです。
これは、現在の会社を起業するうえでのサンプルの一つになったと思っています。

その後は、東京コンピュータサービスに転職。
子会社の筆頭重役として経営を司りました。

これらの経験の集大成として2003年、
株式会社エー・アンド・ビー・コンピュータを起業したのです。

人生に無駄なし!

会社が生き残るためには、相当の努力が必要です。
必死に日夜努力を続けてきたからこそ、今があるのです。

起業をするということは、
全てを自分の概念で決め、それが全て自分のものとなってくるということ。
ですから一つ一つの積み重ね、全てが重要な事となってきます。
そして、その一つ一つ全てが、自信の表れとなっていくのです。
おかげで、私は身体まで頑健になったんですよ。
病気さえ跳ね返しているんだと思います。(笑)

若い方には是非、情熱を持ち、切り拓く力をつけてしいと思います。
これは、仕事をしていくうえで、生きのびていくうえで、とても大切なことなのです。
また、若いうちは、苦労は買ってでもしてください。
今目の前にある苦労は、自分を育ててくれるもの、勉強させてくれることだと思って、
是非喜んで向かっていってください。
歳を重ねた時に、必ず気が付くはずです。
その経験が、自分の血となり肉となり、全てが生きていたのだということに。

私自身も実際に血のにじむような苦労をたくさんしてきました。
人生に無駄はありませんよ!

強烈に!猛烈に!

会社を運営していくうえで、大切なこと。
それは、常に新しい事へのチャレンジです。
また、真面目にしっかり仕事をしていく責任感と、納期を守る、
この2つもとても重要なポイントです。

この2つを守りきるのは、とても苦しくたいへんなことです。
一生懸命やって、どうしても遅れてしまうのは仕方ない。
それが自分の主張や意見の裏打ちができているかが重要なのです。
しっかり守り、その責任をとれるかまで、ちゃんと掘り下げてあるかどうか。
意見もしっかりしているかどうかが問われるのです。

根底的な弊社の考え方は、とにかく必死にやるということがベースとなっています。
他社と比べた時に、どれだけ必死かどうかということです。
だからこそ、私は常に最前線にたっています。
例えば人の採用にも関わります。
全員の方に会っているのです。
それは、この人はどういう人だろう、どういう風に育ったらいいのかを
一人ひとりについて一生懸命考えるためです。

つまり根底にあるものは、やはり必死にやるということなんです。
他人が見た時に、これほどやるんだったら、成功するのがあたりまえと思うくらいに、
強烈に猛烈に取り組むのです。
そうすると自然に、施策が出てくるんですよ。
これがきっちうちの会社の強みと言えるでしょう。

経験から生まれたプロジェクト

人は財産です。
ですから社員の人たちを丁寧に丁寧に育てていくこと。
これこそが一番大切な事だと私は考えます。

責任感を持ち、納期を守れる人材は会社にとっての宝。
そして、そういう人をどんどん育て、その方たちが生きること、生かせることがとても大切なのです。
そして、会社が大きく成長し、皆に可能性の花を開花させてほしいと考えています。

そんな思いから、弊社には‘独立支援「0円」プロジェクト’があります。
この支援の背景は全て、私の経験からくる「想い」です。
多くの失敗を経験しながらも、その都度先輩経営者から学び、教えられ、支えていただきながら、
会社の経営を実現させる事ができた過去の経験から生まれました。

先輩経営者との関係性が希薄な昨今、
先輩経営者が近くにいる環境を提供し、少しでも日本の未来の役に立ちたいと言う想いのもと、
このプロジェクトを開始したのです。

日本の未来を切り開くきっかけとなるよう、
社員と、そして若い起業家とともに歩んでいきたいと思います。

安全より野望を!

安全志向はもったいない! これが私の考えです。
中には大企業に就職し、安定したいという考えの方もいるとは思います。
でも、考えてみてください。
今は激動の世の中なんですよ。
日本の有名な大企業であっても、
他の国の企業に追い抜かれてしまっているのをよく目にしませんか?
これからの時代、そんな話はもっともっと出てくるかもしれません。

だから、若い人には安全志向でいてほしくないんです。
そんな気持ちでいる限りは、全く通用しないはずですから。
自分の力や才能は無限にあること、これを信じてほしい。
周りを見渡せば、世の中にはワクワクすることがいっぱいあるはずです。

そういう気持ち、野望を持った人には、うちの会社に是非きてほしいと思いますね。

株式会社プラチナムホールディングス 代表取締役 渡辺祐太

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代表取締役 渡辺祐太

代表取締役 渡辺祐太

設立 2013年5月15日
事業内容
    • 経営コンサルティング事業
    • ECソリューション事業
    • オンライン広告の制作、運用
会社HP http://platinum-holdings.info/

新たなるスタート

もともと私は、仕事に対して前向きな性格ではありませんでした。
そのせいか、いつも遊んでばかり。
真面目に働くという事をひどく嫌っていたのです。
そんなある日、私はとある縁で仕事を得る事となります。
しかし、それは褒められた内容ではない、いわゆる「悪い仕事」。
23歳の時、私はこの仕事から逮捕され、全てを失う事となるのです。

出所したのは24歳ごろであったでしょうか。
車や家、仕事から金まで、全てを失ってからの再スタートです。
そのスタートの場は営業。
いわゆるサラリーマン経験を積むことを考えました。
しかし、その営業について回るのは会社の色。
その会社の性格というものを意識しながら、会社に迷惑をかけないように営業を行う。
これが、どうも私には合わなかったようです。

もっと自分本来の営業を行いたい。
これが私の独立のきっかけでした。
会社の責任の中で、会社の色を意識しての営業ではなく、
全てを自分の責任にしてまでも、自分の色を出して仕事がしたかったのです。

0からの出発

独立を決めたはいいものの、サラリーマンとして働いたのは約2か月。
当然お金がたまるはずもありません。
そんな私は、0円でのスタートを切りました。

そのスタートを後押ししてくれたのは、古くからの友人。
私の出所を機に、彼と再会したことが、0円でのスタートを可能としました。
私が行っていた前職での経験は、そのまま被害者の視点をも想定させられます。
その想定から、逆に被害者を救済する側へも回れるのではないか。
企業の中でのサラリーマン生活に辟易としていた私は、友人にそのビジョンを話したのです。

「その事業を始めればいい。広告やサイトはやってやるよ」
それが友人の答えであり、応援でした。
言葉通り、サイトなどはその友人が。
私が行うのは足を使った営業です。
電話をしては歩き回り、契約金が入れば、それは資金になり新たな動きを可能とします。
友人がいなければ始まらなかったこの事業は、私の動きと相まって成長を遂げ今に至ります。
しかし、その友人に頼ってばかりではいけません。
最終的に自分ですべてを回せるように、方法を一から身に着けていきました。

仕事って恋愛みたいなもの

資金も知識もゼロからのスタートを切り、一人で何とか回せるようになったのは、
事業を始めてから2,3か月たった頃でしょうか。
年月を重ねた今でも、まだまだ学ぶべきことは多いですね。

自分で事業をやり一から学ぶ中で、気付いたことがあります。
それは、仕事は恋愛と同じであるという事。
理想の異性と出会った時、皆さんはその人との関係に目標を定めるでしょう。
恋人になる事が目標なのか、それとも結婚なのか。
何であれ、その目標に向けて、様々な有効だと思われる行動を起こすわけです。
その結果、どの様な結末を迎えるのかは分かりません。
失敗かもしれないし、成功かもしれない。
失敗したら次に向けて対策し、成功したら先の目標を定める。

仕事もこれと同じです。
まずは目標を定める。
100万稼ぎたければ、その為に実行しなければならないことを想定し実行する。
失敗したら対策し、成功したら更なる成長をめざし、300万、500万と目標を定める。

結果として達成できるかどうかは恋愛も仕事もわかりません。
確かなのは、動かなければ失敗も成功もないという事。
今の私は、このサイクルの繰り返しの先にあるのです。

パイオニアとして

今でこそ弁護士や司法書士に受け入れてもらえている、
広告代理店としてスタートした弊社の事業ですが、
初めから流れに乗れていたわけではありません。
私がこの事業を始めた頃、そもそも詐欺被害の実情などが、世間には広まっていなかったのです。
今でこそ多くの人が認識してはいますが、当時は取り立てて騒がれることはありませんでした。
その為、営業先の弁護士事務所も最初は半信半疑。
この事業に対して正当性を疑ってかかる事が当たり前でした。

本当に儲かるの?闇金を相手にして大丈夫なの?
この不安を取り除くのが、私の営業としての仕事。
ここで強みになるのは自分の経験でしょう。
本当にその世界を経験した私であるからこそ、
たしかな説得力をもってこの市場を生み出す事に成功したのです。

結果として、月に1000万もの収入を上げた弁護士事務所も存在します。
競合が生まれつつも、今現在弊社はある程度の安定を得ています。
しかし、まだまだこれから。
新たなステップに進んでいこうとしている段階です。

信頼からくるサービスを

対人関係から来る信頼。
その関係を基本として行える事業には、積極的に足を踏み入れたいと考えています。
お金を払って、商品を売る。
この様な商売とは少し違うのです。
お互いの信頼があるからこそ、「この人になら任せられる」という意識となり、それがビジネスになる。
この様な人のつながりから作られる、人間の体を使ったサービスをこれからも重視していきたいですね。

そのビジネスの先にある目標は、人を支え、自身に追いつかせるという所にあります。
人を支えるという事は、簡単にいうと家族に辛い思いをさせないという事。
同時に雇っている社員をも確実に支えていく。
それが一つの目標となっていますね。

そして、もう一つが自身に追いつかせるという事。
今守るべきもの、先述した家族や社員を守りつつも、
自分の背中を見てついてきてくれる人たちを、引っ張っていきたいと考えているのです。
部下が何かを成し遂げたい、そう思った時に起業のきっかけづくりを私自身が手伝えたらと思いますね。

とにかく動け

今の世の中には確実な安定などありません。
それは、皆さんが正しく認識しておくべきことの一つでしょう。
大企業に就職することが安定だと思ったら大間違いです。
そこにも様々な不安や不満が渦を巻いていて、望むことは簡単に手に入れられません。
その不安や不満を、会社のせいにしてはいけないのです。
自分の欲を抑えて、その理由を仕事のせいにする。
それなら今すぐに辞めてくれ。
私はそう言いましょう。

ならば、全て自分でやってしまえばいい。
全てが自分の責任となる世界で、だからこそ向上心が生まれ、成長へとつながるのではないでしょうか。
起業して何かをなしとげたい。
そう思うのならば、まずはやってみればよいのです。
スタートしなければ、それは0のまま。
それを1に変えるという事が出来たら、1を100にするのも、1000にするのも簡単です。
一つの信念がぶれない限り、その成長を止める事は出来ないはずなのです。

0から始まった私が動かせるお金はどんどんと大きくなってきています。
それは、まさに0が100になり1000になった結果。
皆さんが何かをやりたいと思った時、その想いに任せてまずは動く事が必要です。
人生は一回きり。
失敗もひっくるめて前進してほしいと思います。

株式会社ビーボ 代表取締役社長 武川克己

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代表取締役社長 武川克己

代表取締役社長 武川克己

設立 2010年9月
事業内容
    • ECサイトの企画運営/通信販売事業
    • 美容・コスメ・ファッション・健康関連商品の企画/開発・メーカー事業
    • WEBサイト・アプリの企画開発/制作/運営
    • WEBサービス・メディアの企画開発/制作/運営
会社HP http://bbo.co.jp/

起業を考えていた学生時代

大学時代から起業というKWは常に頭の中にありました。
その頃は空前の起業ブームで、メディアなどではたびたび起業家たちを目にしていました。

その経営者たちと言えば、志を持ち、そして何より自分の人生の使い方を決めて、
そこに向かって突き進んでいる、私は起業家の方々を見るたびに
「自分は自分の人生を使って何を成し遂げるのか、何のために生きるのか、世の中に何を残すのか」
と問いかけるようになっていました。
ふつふつと熱い思いが生まれて「これは動き出すしかない!」と行動する決意をしたのが、
大学2年生の頃だったと思います。

とはいえ、何から始めていいのか、右も左もわからない状態で、
まずはネットで色々な情報収集をしたり、そういった人の本を読んだりしていました。
世の中の経営者がどういうプロセスで事を成そうとしているのかを知りたかったのかなと思います。
そんな時に目に入ったのが、起業支援を行っている大阪のNPO法人。
迷わず扉をたたきました。

そこで、さまざまな交流会やイベントに参加することで、
多くの経営者の方と会い、話をする機会を持つことができました。
そこで「この人と一緒にやりたい」と思う経営者の方と出会い、
その方が起業した会社にインターンとして入ることになったのです。

起業は自然の流れだった

大学を卒業後もその会社で取締役として会社運営を行っていました。
しかし、23、4歳の頃、さらに上を目指そうと、上京することにしたのです。
ただし、この東京行きは「起業」をするためではありませんでした。

学生時代は、ただただ自分の会社をつくりたいという思いがあっただけでしたが、
会社を作ることが目的ではなく、もっと本来の目的があるのではないか。
起業しなくても、自分がやりたい事は出来るのではないか。
そんな思いもあり、東京のデジタルマーケティング事業を行っている会社に就職しました。

ここでは、多くの経験を積ませていただき、勉強もさせて頂きました。
仕事も裁量もすごく自由がある会社でしたので、思ったこともできましたが、
3年程で退職し、現在の株式会社ビーボを設立しました。

一度は就職し、そこから新たに起業の道へ。
それは、ただただ自然な流れの事のようで、きっと目的を見つけたんだと思います。
そしてその時に自分がやりたいと思った瞬間がきたのでしょう。

皆で同じ方向を目指す経営

これだという事業を見つけ、ある程度順調にはきましたが、伸び悩んだ時期がありました。
それまでは力技を使って、勢いで走り抜けてきたものの、
このまま勢いだけで続けても、どうにもならないのではないかと気づきはじめたのです。

そこで、メンバーみんなで振り返って考えました。
もちろん、それまでも目の前のことを必死に頑張ってきたんですが、
どこか小手先でやっていた部分があったと思うんです。

そうではなく、一人ひとりがしっかり目指すところを目指していき、
「自分たちの世の中に対する存在意義」を改めて考え直し、
そこに向けて一人ひとりが動きだした時に、
これこそが会社なんだなという答えを見つけることができました。

そして「一人一人が同じ方向を目指さなければ、力を発揮することはできないし、楽しくない」
ということに改めて明確に気付き、そこの作り込みからやり直しました。

これが、弊社の方向性が見えたきっかけです。
みんなどこかでそういう思いは持っていたはずですが、
やはり目に見える形で残したり、常に考える環境でないと、
目の前のことで精一杯になってしまいますよね。
このような考えをみんなで話し合い、整理したことが、今に繋がっています。

また、会社自体も愛情を持ち、みんなで育てていこうという思いから、
2014年4月1日に社名を「株式会社ビーボ」に変更しました。
「一人一人に存在する幸せの道をつくる、幸せを運ぶブルービーのように」というミッションを掲げ、
“Blue Bee One”から“Bbo”を社名としています。
※ブルービーとは希少でなかなか見かけることができない『幸せを運ぶ青いハチ』のことだ

幸せを提供し続けるために

私たちには、「幸せを提供する」という共通の想い・ミッションがあります。
自分達が何のために仕事をしているのか。
もちろん、生活やお金も大切な事ではありますが、
今は単純に「ありがとう」という言葉や、誰かの役にたっているというやりがいが
とても大切だと感じています。

実際、弊社は個人に向けたサービスを展開しているので、
直接「ありがとう」と言ってもらえる機会が多いんです。
そんな声を大切にし、これからも一人でも多くの人に幸せを提供していきたいと考えています。

そして今、弊社で一番力を入れている、
女性の美と健康を応援する自社の展開ブランド「BELTA」をさらにみんなで育てていきたいです。

『キレイになりたい』『健康でいたい』『やせたい』
などの願いを持ち、弊社のサイトに来てくれるお客様に対し、
その想いに徹底的に応え、その願いを叶えるサービスを提供する。
そして、お客様一人ひとりが目的を達成していただけるよう、
徹底的にサポートを行っていくと決めています。

ただし、ひとつの事業に固執しようとは考えていません。
今は女性向けのサービスを中心に提供していますが、
今後男性向けのサービスも始めるかもしれません。
そして、通販以外の事業も行っていくことになるでしょう。

その他の事業でも、誰かが「やりたい!」と思って手を挙げた時に、
すぐ行動でき、素早く事業化できる会社でありたいと思っています。
もちろん、その環境は常に意識して作っていくつもりです。

常に改善!常により良く!

弊社は、常に少数精鋭です。
一人ひとりの仕事の量、そして仕事の責任や裁量はかなり大きいです。
なので、言われて動くのではなく、自ら考えて動く、気づいたらすぐ動くという人じゃないと、
ビーボではやっていけないと思います。
ということで、今のメンバーは、そういう人間ばかり。
そして徹底しようと皆で決めたことは、ひたすら徹底するメンバーです。

「常に改善!常により良く!」
これは、会社の口ぐせになっています。
妥協することなく、徹底的にこだわりを持って仕事を進めること、
そして常に改善、常により良くしていくことで、
今は未熟であっても、私たちの目指すところに到達できると考えています。

もちろん自由度はめちゃくちゃある会社です。
ただし個々の仕事の責任は大きいので、苦しい時もあるはず。
でも、そういった時は、皆が同じ方向を向いているので、助け合うことができるんですね。
考える時はみんな一緒に考えるし、喜ぶ時はみんな一緒に喜ぶし、遊ぶ時はみんなで一緒に騒ぎたい。

そんな考え方に共感し、一緒に目指していけるメンバーとこれからも働いていきたいですね。

学生に対して何か伝えたいことはありますか?

自分の学生時代を振り返って考えると、
その時の自分に対して強く言いたいことがあります。

「その一歩は、もっと簡単に踏み出すべきだろ!」ということです。
一歩踏み出し、挑戦・チャレンジする勇気を!
これは今でも保守的になっていたり、守りに入りそうになった時に自分自身に言っています。

起業したいと言っているだけで行動しない人もたくさんいましたし、
学生時代からビジネスの世界でチャレンジしたいと言ってるだけの人もたくさんいました。
自分自身も当時は何をしていいかわからず、何か始める勇気もなく、情報収集だけして終わりでした。

自分は幸いなことに、起業支援をしているNPO法人と出会い、
一緒に働かせて頂ける方と出会い、色々な環境やチャンスを頂きました。
それでも勇気が無いせいで、チャンスを逃したんだなと今になって思うことはたくさんあります。

色んなリスクを考えてしまったこと、そしてスキルが無い事への不安だったのでしょう。
今にして思えば、大学生にリスクやマイナスなど全く無いんですけどね。
マイナスになるものが無いので、プラスしか無いはず。

もっと早いうちから、一歩踏み出すべきだったし、もっともっと深く挑戦するべきだったと、
若い頃の自分へのメッセージとともに、皆さんにお伝えしたいです。

株式会社style-RANGE 代表取締役社長 中嶋一生

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代表取締役社長 中嶋一生

代表取締役社長 中嶋一生

設立 2004年9月(創業2003年10月)
事業内容
    • 日本料理・しゃぶしゃぶ「瓢斗」「瓢嘻」の経営
会社HP http://www.hyoki.jp/

『社長』というヒーロー

僕の地元である滋賀県近江八幡は、江戸時代の「近江商人」という言葉に代表されるように
古くから商業が非常に盛んな土地柄です。

実際、僕の父も寿司屋を経営していたり、
何かと商売というものが幼い頃から身近にあったんです。

なので、中学生くらいの時期から自然に、
「自分も社長になって、商売をしたい」という気持ちを抱いていましたね。

ちょうど、幼い子供がヒーローに憧れるように、
僕にとっては「商売をする社長」という存在がいつも頭から離れませんでした。

実際、父親が店を切り盛りする姿を見て、
「自分ならこんな工夫をするな」とか「もっと面白いこともできるのに!」
と日々考えていたことを思い出します。

そんな僕が、大学卒業後にまず料亭に勤めて板前の修業をしたのは、
「社長になるための前試合として、厳しい環境を経験しておいた方が良い」と
思ったのがキッカケでした。

どうせやるならレベルの高い所がいいと思い、格式高い京都の老舗料亭を修業先に選びました。

料理させてもらえなかった修業時代

板前の修業の印象は、ただただ大変でした。
現場にでても、料理なんてさせてもらえず、自分の居場所なんて無い。

できることは、先輩の料理を全神経を研ぎ澄ませて観察し、盗むこと。

そんな日々が続いた板前としての修業は、様々な意味で僕に衝撃を与えてくれました。

それまで日本人として身近だと思っていた日本料理ですが、
修行先の料亭では、見たこともないような日本料理の調理技術、奥深さを身をもって体感できました。

一方で、業界特有の保守的な風土を変えて、もっと現代にマッチする形にできないかとも感じました。

もっともっと日本料理を勉強したい。
そう思っていた矢先、この料亭の閉店を告げられました。

この時、自分の想いとじっくり向き合うことができたんです。
元々、日本料理への興味ではなく、社長になるための下積みとして選んだ修業先。

でも、その1年後には日本料理に魅せられている自分がはっきりといました。

「こんな素晴らしい日本料理をもっと広めていきたい」

当時の僕には、何もありませんでした。
料理の腕も、実績も、資金も、何もありませんでした。

けれども、自分の想いにだけは常に絶対の自信があったんです。

「社長になろう。」そう決意しました。

『そのイメージ、おかしくないですか?』

会社を設立し、京都でお店を開店。

最初は、今振り返ってみても苦い経験ばかりでした。

飲食業の仕事の楽しさは、何と言っても「感謝がもらえる」ことだと思っています。
でも、その時は感謝どころか、
お客様にさげすまれたり、無理な要望を言われたり散々でした。

ある時、弊店の料理を召し上がって頂いたお客様から、
「今日の満足度から言うと、半額だな。まけてくれ。」と言われたことを痛切に覚えています。

勿論、こちらの失態であれば即座に謝罪致しますが、
お客様は十分にその時間を楽しんでいらっしゃった様子でした。

僕が丁寧にお断り申し上げると、
お客様からは「飲食業ならば、ホスピタリティってものがあるだろっ!」とこちらが叱責される始末。

この経験から、今日に至るまでの強い信念が自分の中にできました。

「業界の常識を変えて、働く人がリスペクトされるような業界に変えてみせる」

そう思ってから早10年。
決して平坦な道ではなかったですが、
業績も右肩上がりで、新規出店も継続してできるようになってきました。

ようやくスタートラインに立てたと感じます。
ここから、僕らの挑戦が始まりますよ。

どうせやるなら、思いっきりやろう!

弊社の経営理念「すべての人に心からのおもてなし」というのは、
「すべてのお客様に」という意味ではありません。

当然、一緒に成長してくれる社員が気持ちよく働けなければいけないと思うんです。

そのために、社員が仕事に集中できる環境を整えることが
社長である僕のメインミッションなんです。

労働環境や組織制度の整備は勿論、
社員の今後のキャリアアップについても幅広い選択肢を提示したい。
社員が目標とする自分像をストレートに目指せるような環境にどんどんしていきたいなと思っています。

その他にも、日頃から新入社員も含めて直接会話をしていますし、
社員の誕生日にはプレゼントを贈ったりするようにもしてたりするんですよ。

僕らは、高いレベルのおもてなしを目指していきますし、
そのために仕事は決して楽ではないはず。
組織が成長しているため、社員一人ひとりの負荷も大きくなっていると感じています。

仕事は大変で、しんどいなと感じる部分もあるとは思うんですが、
その先に自分の成長が待っていることを感じてもらえるように教えているつもりです。

だからこそ、仕事に集中できるように環境を整えて、
社内のコミュニケーションが円滑に進むように社長の僕が最前線で動きたいんです。

「どうせやるならば、思いっきりやろう!」

自分自身に挑戦するという気風は、会社として大切にしている価値観ですね。

『上司』ではなく、『同志』

弊社のもう一つの強みがあるとすれば、
「前向きに変化していける」という部分ではないでしょうか。

歴史と伝統がある日本料理業界では、働く社員の平均年齢は40代と言われることが多いですが、
弊社のそれは20代後半なんです。

もちろん、経験豊かな方も素晴らしいですが、
「経験やスキルは無いけれども、自分自身を磨いていきたい」
「若いうちから、活躍できる環境で働きたい」
という方にチャンスを提供していける会社でありたいと強く思っています。

僕は社長という立場ですが、現場の社員から
「もっとこうした方が良い」という工夫や改善点が日々上がってきます。

自分で考えて、変化に挑戦していく社員がいることは、実は弊社の一番の誇りなんです。

そして、若い社員の力に引っ張られるようにこれまで成長してきた弊社も、
次のステージに移ってきています。

店舗展開の面でも、毎年2店舗の新規出店を計画しています。
5年後には、国内15店舗に拡大、そして売上高20億円を見込んでいます。

会社が大きくなるにつれ、本部機能のポストも増えてきているので、
頑張って結果を残せば、どんどんそのポストに就けるというメリットもあります。

若さはハンディキャップではなく、
大きなアドバンテージであるととらえていただきたいと考えています。

商売の勘どころをつかめ!

学生の皆さんへのアドバイスは4つあります。
1つ目は、人付き合いを大切にすること。
学生の本分として、がつがつ勉強するのも当然いいことですが、
仕事というのは結局、人間関係だなと思うんです。
仕事仲間だけではなく、、仕事とは全く離れたところでの人間関係も、
社会人としてさまざまな形で役立つことは、間違いないです。
人として、信頼されるような、人間としての魅力をしっかり磨いてほしいと思いますね。
2つ目、特に起業を考えていたり、社長業に興味がある学生さんは、
とにかく社会に出て働いてみることが必須です。
それも、チェーン店のアルバイトのようなところよりも、
夫婦が二人だけで切り盛りしているような小さい酒屋さんなんかで働いてみれば、
そこから経営者として得られるものは極めて大きいと思いますね。
小さいお店を手伝うことで、仕入れから売るまでの流れが全部見えて、
商売というものの「勘どころ」を押さえられるようになります。

3つ目と4つ目は心の持ち方です。
最後の一人になっても、やり抜く覚悟。
それから周りの人たちへの感謝の念を持ち続けることですね。
私も、京都で鼻高々だったのが、東京に進出して大失敗したという経験の持ち主です。
そういう沈んだ時期であっても、周りの方々が厳しくも優しく協力をしてくれたおかげで、
なんとか耐えきって上向きにすることができたわけです。
当たり前といえば至極当たり前なことですが、苦しい状況に置かれたときこそ、
改めて、負けない気持ちと人への感謝の心は大切にしてもらいたいと思います。
僕はいつも心の中で唱えています。
「負けてたまるか」「おおきに」
いつまでも僕は原点の商売人です。
皆さんも初心を忘れず輝く未来のため、
今を精一杯悔いのないようにしてくださいね。

株式会社タジマ 代表取締役社長 大河原静雄

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代表取締役社長 大河原静雄

代表取締役社長 大河原静雄

設立 平成9年12月
事業内容
    • ソフトウェア開発・販売
会社HP http://www.tjk.co.jp

オーナー相手という共通点

約八年前の事、私はとある縁があってこのタジマへとジョインしました。
その当時からしばらくの間は副社長として働き、現在社長職となったのですが、
元々は自身の起業も経験しています。

遡り大学卒業後。
私は機械製造メーカーに就職を果たし、その後に独立することを考えて働いていました。
その間にも、まずは会計関係の知識を得なければいけないと思っていた為、会計事務所への転職を経た後、
独立してからは、経営コンサルタント兼不動産コンサルタントとして活躍していました。
当時のお客様というと、不動産では地主さんを相手に、経営の方では中小企業の社長さんを相手に。
ほぼ100%がオーナーという立場の方々をお客様とする仕事であったのです。

そこからしばらくして、税理士の友人からとある縁を得ます。
それが、タジマへの転職でした。
タジマキコーから分社化した弊社にやってきた私は、新しいビジネスに触れていく事となるのです。

しかし、私にとって新しいビジネスとはいえ、それまでの知識や経験は存分に生かされています。
ここで出会う取引相手のほとんどはオーナー。
その心理を理解している私は、大きな強みをもってこの転職を成功へと導く事が出来たのです。

業界のパイオニアとして

弊社の事業は、ソフトウェアの開発と販売なのですが、
その販売対象となるのは自動車アフターマーケットにおける事業者の方たち。
自動車は、新車として販売された後、廃車になる迄には車検整備を始め、
事故を起こしたら直さねばならないし、中古車を売るという機会もあり、
それらを様々な事業者が支えています。
この様な、新車販売後のアフターマーケットに向けたソフトウェア開発を事業としているのです。

弊社タジマは、この業界にソフトウェアをもたらした一番最初の会社でした。
この功績は、それまでのアフターマーケットを一変する事に成功したのです。
自動車整備工場の事を例に挙げましょう。
今でも変わりませんが、まず整備をする際、事前に見積もりを計算してもらう事になるでしょう。
かつてのこの業界がその時使用していたのは、己の経験と手打ちの計算でした。
その環境にソフトウェアの力を導入する事で、
合理化し、自動化し、間違いを少なくしたのが、弊社となります。

全てのカーユーザーの視点に立って、より良い改善をめざし、
当初よりも格段に分かり易く、多機能なものを作り出す事が出来ています。
まだまだ更なる進歩を目指している所ですね。

仮説と現実の違い

会社の将来に対する仮説があり、それに対する思いがある。
それを人はビジョンと呼ぶのでしょうが、それを現実と混同してはいけません。
ビジョンがあったとして、現実には事実があります。
それを無視してビジョンだけを追うような経営は、どこかでつまづいてしまうものです。

これを踏まえて、弊社の将来像について少しお話ししましょう。
現在、現実として弊社はこの自動車アフターマーケットの業界で、No.2の位置にいます。
一番手企業は、規模からして弊社の4,5倍。
一見勝ち目のない相手のようにも思えるかもしれません。
しかし、中身を見ると認識は様相を変えます。

一番に違うのは商品数の多様さ。
部品等関連ソフトウェアまでを手掛ける企業に対し、
弊社は整備事業者、鈑金塗装事業者、中古車販売事業者向けソフトウェアに絞った事業を行っています。
商品数の多様さでは敵いませんが、特化することによって弊社であっても十分に競う事が出来るのです。

さらに、毎年シェアの1%強を伸ばすという、業界No.1の伸び率を誇り、
おそらくシェアの3割を超えるまでは順調に成長することが出来るでしょう。
その目処がつくのは3年後。
さらにその先を見通すためにも、今やれることを着実に進めたいと考えています。

職人か組織人か

皆さんが目指すところは「職人」ですか?それとも「組織人」ですか?
もし明確に、何を目指したいという事があるのならば、
行うべき行動を再び振り返ってみてほしいと思います。

職人というのは、自分が関わる仕事に対して直接付加価値をつける人の事です。
自分が行う事についての全責任を負う覚悟と、自分に妥協をしない強い心が必要です。

対して組織人とは、名前の通り組織の繁栄を一番に考える人の事です。
この人達は、自分の関わる仕事に対して必ずしも直接的に付加価値をつける必要がないのです。
自分よりも良いパフォーマンスを出せる人物がいたのならば、
組織のために裏方に回り組織を支える事を考えねばなりません。
つまり、全体のために自分の主張を控えるなどの妥協も、ときに必要になるのです。

この二つの区別が出来ていない人があまりにも多い。
「目指すのは組織人です」
特に多いのは、こう言っておきながら全体最適化のために妥協を出来ない人間ですね。
本当に目指したい所は何なのかという事をはっきりと区別して認識しておく必要があるでしょう。
当然、自分でやる事が一番組織にとって良い結果になるというのならば自分で行えばいいのです。
つまり、一番に組織を考える組織人であるのならば、全体のために妥協出来る意志の強さ、
そして、職人であるなら、仕事と自分に対して絶対に妥協しない強さがなくてはならないのです。

条件はいつも足りない

今の若い世代には、塾通いなどの経験をした人が多く、勉強というものに幼い頃から触れています。
大学受験がゴールだというのならば、それもいいのでしょう。
しかし、大学卒業後には当然のように社会への一歩が待ち構えています。
ここで、受験勉強の弊害が表れてくるのです。

皆さんは、受験勉強で十分な前提条件のもとで一つの答えを導く事の出来る環境に
慣れすぎてしまっています。
言い換えれば、答えを出すための条件が揃いすぎているのです。
この環境に慣れてしまう事が、社会での挫折を生んでいるのではないでしょうか。

社会で正解を出す条件が全て揃っていることなど、まずありません。
確実な答えを出すために必要な条件が10であるとして、初めから揃っているのはせいぜいその内3程度。
どうにか調べ上げて、それを5までにして、残り半分はわからないまま、
正解と思えるものに挑戦しなくてはならないのです。

仮定を立てて答えを出す。
しかし、仮定の立て方で、いくつもの答えが生じるのです。
この仮定と答えの選択が的確に出来て初めて正解ですが、
もし誤っていたら即座に必要な修正を行うことにします。
このトライアンドエラーの繰り返しで社会は成り立っています。
10全て出揃うのを待っているようでは、チャンスは他社にとられてしまう。
あるいは消滅してしまう。
ただ一つの正解が確実に出るという幻想からの脱却が望まれていると心にとどめてほしいと思います。

多様性と同質化への志向性

多様性と同質化。
ほとんどの企業は、この二つの志向性を持って動いています。
様々な考えや意思を持つ人間がいる多様性、そして同じ考えを持った人間が集まる同質化です。

大方、スタートは同質化を志向するもの。
というのも、市場が成熟していない段階では、
多くの人が同じ方向を向いていた方が、その分野で勝ち残り易いのです。
戦って勝つことが一番楽な成長方法である段階において、
この同質化は、一致団結という意味で大きな力となり得ます。

しかし、これには少なからず問題が残ります。
同質化するという事は、皆が皆同じことを言い、求めるという事。
そこに無理やり差を見出そうとして、年齢などによる権力主義、権威主義が生まれてしまうのです。
その行きつく先は組織の硬直化と異質の排除。
時に、パワハラ、セクハラに発展します。
そうなる前に、多様化へと志向性を反転させることが望まれるのです。

かといって、単純に多様性を推し進めると空中分解が待ち構えています。
必要なのは、多様性を重視しつつ、しっかりと全員が団結出来る共通認識なのです。
それは例えば理念や会社のブランドと言えるもの。明確な目標もまた然りです。
現在、同質化の段階を抜け出し多様化を目指す弊社も、
そのバランスを大切に進んでいきたいと考えています。

株式会社エデュースキャリアデザイン 代表取締役社長 木村克紀

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代表取締役社長 木村克紀

代表取締役社長 木村克紀

設立 2013年8月
事業内容
    • 学校業界に特化した人材紹介事業
    • 学校業界に特化した採用業務およびその他全般業務のアウトソーシング
    • 学会・同窓会等、学校関連団体の事務局受託事業
    • 教職員向け育成・研修事業
会社HP http://gakko-jinzai.com

エデュースからエデュキャリへ

当社は、学校経営をトータルサポートする「エデュースグループ」に属しています。
エデュースグループの中核企業である株式会社エデュースは、極めて特徴的で、
全国の学校法人16校が共同出資して設立した、日本唯一の会社です。
こうした、学校法人による共同出資という形をとっているのは、
後にも先にもエデュースだけと言われています。
会社設立時には、全国紙の新聞の一面に掲載されて、設立メンバーは驚いたそうですが、
それほど社会的インパクトのある会社です。

そもそもエデュースが出来た経緯は、学校のガラパゴス化が問題だったからです。
本来、学校の競争力は「教育」であり「研究」です。
業務システムや業務フロー、組織設計等に個性を出す必要はありません。
それにも関わらず、多くの学校がそこに人もお金も投資し、
管理のための管理のような状況になっていました。
教育、研究は偏差値ヒエラルキーの中で差別化が出来ていなかったのです。
この状況を変えたいという想いを全国に投げかけた結果、
16校の出資も得て、スタートしたのがエデュースでした。

そして、学校経営を、「IT」「コンサルティング」「ビジネスマッチング」という
あらゆる面から支援をしてきましたが、
創立10周年を機に、学校業界の「人材」に着目したビジネスに力を入れ始めました。
やはり、教育を行うのも、研究を行うのも、経営を行うのも、学生指導を行うのも、
すべては「人」であるいうことを強く認識し、
その部分の支援が不可欠であると感じたからです。

そして、それをより深く実践するため、
2013年の夏に、そうした学校業界の人材ビジネスを専門に扱う
『株式会社エデュースキャリアデザイン』が誕生したわけです。

これからの学校は人で輝く

現在、日本では国を挙げて大学改革を行っています。
大学は国公私立を併せても700校超しかなく、企業の430万社と比較すれば圧倒的に少ない状況です。
それにも関わらず、大学改革関連予算として、昨年度と今年度は年間で約500億円を計上しており、
かなり本気であることがわかります。
しかし、それほど力を入れていても、大学現場からは、まだまだ課題が多いとの声も聞いています。

では、どうして改革がうまく進行しないのか。
それは、改革を実践する「人」がいないからなのです。

例えば、「ゆとり教育」の話をしたいと思います。
「ゆとり教育」の考え方自体は、非常に素晴らしい内容でした。
しかし、結果的にはうまくいかなかった。
最も大きな原因は、真の「ゆとり教育」を実践する人材がいなかったからです。

知識偏重ではなく、本当に考えさせる授業を行うことが、全国できちんと導入されていれば、
この改革は成功していました。
しかし、そうした教育をそもそも受けてこなかった世代の教員たちに、
ただ「やれ」というのは無理な話なのです。

国は、教職改革も行い、教員養成を同時に着手しました。
しかし、同時では遅い。
先に教員の養成をしてからするべきでした。
そして、正にこれと同じことが、現在の大学改革で起ころうとしています。

今回の大学改革の重点事項の一つである「グローバル人材育成」にしても、
本当の意味でのグローバル教育を行う人材がいない。
個々にはいるかもしれませんが、全体として、教員/職員といった身分によらず、
グローバルな学校人はあまりいない。
日本の現状では、学校業界に限らず、民間企業を含めても、
グローバルに活躍している人材の方がまだまだ少ないですし。
そうなると、単に英語ができると言った理由だけで、グローバル人材として大学に採用されて、
プロジェクトを任されたりしています。
そういう状況では、改革が絵に描いた餅になります。

なので、実際に「実践できる人材」を、
育てる仕組み/外部からスカウトしてくる仕組み/力を発揮できる仕組みを
構築しなければいけない。
それができた学校が、これからは輝くのです。
そして、それこそが、当社の経営理念に繋がっています。

教育の本質的な部分を考える

当社は学校業界に特化した企業です。
そのため、学校にはこういった業務があるとか、こういったニーズがあるとか、
こういったことがこれから必要だとか、
学校の立場に立って人材サービスを展開できるわけです。

例えば、学校には、営業職というのは普通ありません。
しかし、実際には、営業的な職種や営業のスキル・経験を活かせる場面はたくさんあります。
逆に、企業で営業職を経験したと言っても、
それが個人向けなのか、法人向けなのか等、細かい部分では違います。
で、その違いが、学校業界へ転職した場合に活かせる場面の違いにもなります。
つまり、学校には学校特有の業務とか用語とか考え方があり、
それを理解していないと、表面的な支援しかできなくなりますが、
我々にはそれができます。

逆に言えば、先ほどお話ししたような、大学改革を実践できる人材を、
本当の意味で学校へ提案できるのは、我々しかいません。

学校業界特有の事情を理解できると、
その先には、個々の学校の教育の本質的な部分まで考えて支援ができるようになります。
我々は、常にその部分、教育の本質を考えながら、「人」に着目したビジネスを展開しています。
なので、学校業界の「人」のことは当社に任せれば大丈夫だと思ってもらえるようになりたいですね。

真の意味でエンジンになる

学校の改革を担うエンジンに私たちはなりたい、と思っています。
目指しているのはトップです。
この業界は、当社だけで十分だと思われるような会社になりたいですね。
エデュースグループ全体も、それに向けて動いています。
これまでの実績から見ても、それは不可能ではないと考えています。

私自身、大学をはじめとしたあらゆる学校向けのセミナーや講演会に招かれることがあります。
中には、必ずしも専門分野ではないテーマの時もあります。
つまり、当社に聞けば、
学校に関する知見を得られるといった認識をしていただいているのだと思います。
このような流れを、今後も広げて行けるよう、動き続けていきたいですね。

そして、学校業界の「人」に限っても、
私たちは単なる人材会社として存在しているわけではありません。
エデュースグループとして人事コンサルティングをはじめ、人事採用のトータルサポートができます。
人材サービスを中心に、育成もでき、コンサルもできる。
その中で、学校業界での「改革人材」を動かせる真のエンジンになっていく。
それが当社の目指す場所です。

自分の力を伸ばせる企業を選ぶ

今の学生を一言でいえば「つまらない」人が多いと思いますね。
学生の面接をすると、最初の時期は受け答えが下手なのです。
しかし、それから少し経つと上手い。
つまり慣れてくるのです。
しかし、それが透けて見えてしまって、
自分の言葉で話していないことが分かってしまうのです。
履歴書も同じで、文章の途中のアピールポイントを太文字にする人もいますが、
これも対策本の通りにやっているので、みんな同じです。
しかし、本来アピールポイントは履歴書での「結論」なので、むしろ最初に書くべきですよね。
テクニックに走らずに。
こういった部分が、皆一緒で面白くないのです。
裏を返せば、真面目で失敗が少ないということなので、
それはそれでとても良いことだとは思いますけど。
是非、自分の言葉で語ってほしいです。

また、語弊があるかもしれませんが、ブラック企業に入ることも悪くないと思います。
私も、いわゆるブラック企業にいた経験があります。
確かに、企業としては良くないかもしれません。
しかし、そこで活躍していた人は、その後も活躍している人が多いのです。
このご時世、安定を求めるのは分かります。
しかし、安定に見えた会社でもいつ潰れるのか分からないのです。
だからこそ、表面的な待遇面だけで企業の善し悪しを判断せず、
自分の力を伸ばせる企業を選んでほしいですね。

それには、色々な会社に行き、話を聞いてください。
それで「あなたの会社のミッション、ビジョン、バリューは何ですか」
と質問をしてください。
1次面接でも、2次面接でも同じことを聞き、
人が変わっても同じ答えが返ってくる会社を見つけて欲しいです。
それが同じ答えであれば、その会社は本物です。
本物の会社は、必ず自分を成長させてくれます。
ですので、会社の本質、想いが共有されている会社を見つけ、入ってください。
これから先、その会社がたとえ潰れてしまったとしても
そこで得られたことは、自分にとって大切なものになりますから。

株式会社マジカルハートビート 代表取締役マジシャン ナカノ・マクレーン

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代表取締役マジシャン ナカノ・マクレーン

代表取締役マジシャン ナカノ・マクレーン

設立 2013年8月
事業内容
    • マジックショーの開催、各種イベント企画・運営
    • コミュニケーションをテーマにした講演・企業研修の開催
    • マジシャン派遣
会社HP http://nakanomaclaine.com/

ゼロからのスタート

わたしは19歳のころまでやりたいことがなく、目標も夢もありませんでした。
地元の高専に進学したものの、授業を受けたり先生と話したりしても、
将来に対してわくわくするような気持ちにはなりませんでした。

卒業まであと1年と迫ったとき、将来の仕事について考えました。
それまではただ漠然と安定性や毎日定時で帰れるような仕事を選びたいと思っていましたが、
自分のこれからについて真剣に考えた時に、
本当にそんなことのために仕事をしたいのか、
生きていきたいのかと自分の未来について考えました。
それならば、自分が好きで独学で続けていたマジックを仕事にしたいと思ったのです。

私の地元である金沢では、マジックを生業とする人はほとんどおらず、
始めるなら自分で一からやる必要がありました。
だからたまたま起業という選択肢を選び、プロのマジシャンになったのです。
その時には卒業までに1年猶予があったので、
卒業までに実績を作って周りの人に認めてもらおうと考え、思い切ってチャレンジしました。

とはいえ、マジシャンになって何をすればよいのかまったくわからない状況でしたので、
まずは自分の名刺を作り、たくさんの人と会うことから始めました。
最初の1年は何でもやるぞ、という意気込みのもと毎日がむしゃらに働き続けました。
時には社会の厳しさを知り、傷つくこともありましたが、
努力の結果、1年後にはマジックで生計を立てられるようにまで成長することができました。

「『諦めない』。」夢を叶える魔法の言葉」

2年ほどマジシャンとして活動を続けていたころ、お世話になっていた先輩から誘いを受け、
人脈もお金も仕事のあてもありませんでしたが、20歳で上京してきました。

最初は六本木にある家賃3万5000円のシェアハウスにある、3段ベッドの一角という
激狭のスペースからスタートを切りました。

「絶対にあきらめない!」という気持ちだけは絶やさないよう、
小さなことでもコツコツと積み重ねた結果、数々の大手企業との取引など、
合計年間200本を超えるマジックショー、講演のオファーをいただくようになり、
また本の出版など、夢だったプロマジシャンとして成果を次々と手にすることに成功しました。

上京して6年経ちましたが、これまでに5000名を超える社長とお会いし、関係を築いてきました。

雲の上のような存在の人と、直接お話できるというすばらしい経験をすることができ、
仕事をするうえで人とのご縁は、かけがえのないものだということを改めて感じました。

マジックで起業をしてから、本当に色々なことがありました。
しかし、辞めてしまえばそこで終わりです。
失敗してから、自分で必死に考え行動したことで得られる成果というのは、
何物にも代えがたいものがあります。
諦めない気持ちこそ、素晴らしい結果を生み出すために欠かせない要素なのです。

それこそマジック以外の様々なことは、底の見えないコップに水を注ぐようなものです。
終わりの見えない中で、
絶やすことなく努力という水を注ぎ続けることで、いつの日かコップから水があふれるように、
今までの経験や学びから得られる知識や実力を自分のものにすることができるのです。
ゼロからのスタートでも、ここまでやってこれたという実体験を元に、
多くの人々に諦めないことの大切さを伝えていきたいです。

マジック文化の確立こそが使命

現在の事業は主に、パーティや展示会、結婚式などのイベント会場においてのマジックショーの披露と、
コミュニケーションやモチベーションなどをテーマとした講演や研修活動の2つです。

講演や研修では、マジックで必要な心理学的な要素も交えた
実践的な内容になるよう全力でお話をさせていただいていますので、
これまでに多数の企業からオファーをいただきました。

マジックの市場規模自体はそこまで大きくはないものの、
マジックを通じて得たコミュニケーションをテーマとした講演や研修を開催することで、
人材教育の分野に進出することができます。
人材教育の市場は約4000億円という非常に巨大な規模であり、
そこに進出することでより効率的に収益を拡大することができるのです。

マジックショーだけにこだわらず、あらゆる業界に進出することで、
マジックという文化を確立させていくことが私の使命であると考えています。

マジシャンという存在はまだまだ異色な立場として捉えられることが多いのですが、
ゆくゆくはマジックをひとつの文化として根付かせ、
そこに従事する人々の社会的立場を確立させていくことに注力していきます。

マジックと他業種の連携

当社の強みは、他業種とマジックの連携をビジネスとして取り組んでいるということです。
例えば、現在もマジックバーやマジックレストランなどは営業をしていますが、
広報活動がうまくいっておらずまだまだ認知度が低いのが現状です。
当社でも近日中にマジックバーのプロデュースを予定していますが、
本の出版や講演・研修活動で築いてきたネットワーク力を生かし、全国展開を行っていくつもりです。

5年後には、全国でマジックバーやマジックレストランを100店舗開店させることが目標です。
ダーツバーやプールバーと同様の余暇の市場の中で戦えると認識していますので、
自社で100店舗、業界全体で1000店舗は達成したいと思います。
現在、開店準備を進めており、この1,2年の間で都内に10店舗は開店できる見込みです。

新規開店を進める中で、業界に従事する人々の職場環境を整備したり、
マジシャンの育成にも積極的に関わっていきたいと思います。
そして、「どんなふうに頑張れば成功できるかわからない」と思っているような経営者やスタッフに対して
モデルケースとなりうるような店舗を出店することで、業界の活性化につなげていきます。

誰かの役に立つことこそが喜び

私は、自分の人生に責任を持ち、覚悟をもって仕事ができるような人と一緒に働きたいと考えています。
皆さんには、誰かに与えられたことだけ作業のようにこなすのではなく、
組織や業界内のミッションを挙げて、その達成に向けて自ら行動できる人であってほしいと思います。
そのためには日ごろから本をよく読み、常に学ぶことを忘れないことが大切です。
私は学歴よりも、今後に向けて成長意欲があるかどうかを重視します。

私自身、マジシャンとして駆け出しのころから、
「国境なき魔術師」として、モンゴルの子どもたちを訪ねマジックショーを披露しています。
現在では病院や介護施設、養護施設など年間100か所程度を訪問し、
マジックでのボランティア活動をしています。
ボランティアを通し、人に何かを与えられればという気持ちで始めたのですが、
実際には素敵な笑顔や元気など、自分が楽しく仕事をするうえで不可欠なものを逆にいただいています。

当社はマジックを披露する以外にも様々な仕事をしていますので、
マジシャン以外の人々も積極的に採用していきます。
常に学ぶことを忘れず、ホスピタリティの心を持つ方々と働けることを楽しみにしています。


株式会社ゴールデンマジック 代表取締役社長 山本勇太

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代表取締役社長 山本勇太

代表取締役社長 山本勇太

設立 2009年5月1日
事業内容
    • 飲食店経営
会社HP http://www.golden-magic.com

「おいしいもの」の為に

おいしいものが食べたい!
あまり多くのものを欲しない私が求めた、数少ない欲求の一つが、今の原点です。
大学生になった私は、カラオケ店でアルバイトを始めることになりました。
1日に7千円の稼ぎでしたが、30分ある休憩時間には、
寿司屋のカウンターで5千円くらいは使ってしまっていました。

おいしいものを食べる生活を続けながら思うわけです。
「どうしたらこの生活を続けられるのだろうか?」
その為に、大学3年の私は安直に、稼げる職業に就こうと考えたのです。
調べた結果、実は公認会計士が一番給料がいいという理由で、
ダブルスクールを始める事となりました。

おいしいものを食べ続ける。
そのために勉強をしながら、もちろん毎日遊ぶ日々。
しかし、遊びはせずに勉強に打ち込む周囲の人たちとの会計士への想いとは温度差があり、
結果として、会計士への道をあきらめる事に。
目的を決めず大学を卒業した私は、
就職活動をすることもなくフリーター生活を始めることになってしまいました。

ないなら作ってしまえばいい

フリーター生活とは言え、その働きぶりは正社員並みで、
稼いでは遊びと食につぎ込んでゆく日々を送りました。
しかし、その稼ぎも足りず、徐々に借金は溜まってゆくばかり。

そんな時、転機は突然訪れました。
仲間と居酒屋に行こうと話していた時の事です。
「こんな居酒屋ないかな」と、理想の居酒屋を探していたのですが、調べても世間にはない模様。
「じゃあ、作ってしまえばいい」と独立への想いが形作られた瞬間でした。

とは言え全く経験のない私は、まずは飲食業界について学ぶ必要がありました。
少ない店舗の運営をしながらも、様々な事に挑戦している会社へ採用試験を受けに行きます。
これが現在親会社となっているダイヤモンドダイニングとの出会いだったのです。

早速面接に行くものの、正社員としては不採用でした。
まずはアルバイトとしてお願いしますと、当時のスーパーバイザーにお願いをし、
働き始める事となりました。
何も経験がないが3年後に独立したいなどと無茶を言う人間を
やすやすとは採用できないのも無理はありません。
もちろん今の私でも採用しません(笑)

これが私の飲食業界でのスタート。
寝る間も惜しんで、この業界の勉強を始める事となりました。
そのおかげでしょうか、一年半ほどでエリアマネージャーを任されるまでになっていたのです。

1億で100店舗

その後、私に二つの転機が起きました。
一つ目は親会社のダイヤモンドダイニングがM&Aを行い、
買った会社の立て直しを私に任せてくれたこと。
長らく赤字であった会社を二か月で利益率20%にしてほしいと、ミッションを与えられました。
あまりピンと来ないかもしれないのですが、20%というといわゆる繁盛店並みの利益率なのです。
今思えば経験の無さからの安請け合いだったのでしょう。
しかし、毎日、死ぬ思いで働き、目標を達成した時の経験が、
今の私の大きな糧となっている事も事実なのです。

二つ目の転機は、社長になったこと。
つまり、今の立場になったことです。
ある日、ダイヤモンドダイニングの代表松村から言われたのです。
「一億やる、これで100店舗を作ってみろ!」
これを受けるかどうかは、自分で独立することを考えていた私にとって大きな岐路となりました。

自分の性格を考えた時、この100店舗というのはおそらく目指すところではない。
自分の目の行き届く少数の店を、店長としても働きながら運営していきたいと考えていた私にとって、
この数字は大きな問題となったのです。
しかし、自分の力のみでは得られない勉強の場。
このチャンスを有難く受け入れ、今の私へとつながる事となるのです。

代表との約束、仲間との約束

現実的な話として、おそらくあと1年半でこの100店舗という数字は達成します。
企業理念に基づいた行動の先にあるビジョンがこの「100店舗」であったのは確か。
しかし、その先にあるミッションをこれから考えていかなければならないと考えています。

「100店舗」の約束は、あくまでも私と代表松村との間で交わされた約束でしかありません。
今いる社員はこの約束を「受け入れてくれている」という状況なのです。
これから目指すミッションは、仲間の皆と達成できるものでなくてはならないのです。

「日本一の独立制度を作る」
これが、数字の達成を目前とした、私達の掲げるミッションです。
このミッションの達成によって、ゆくゆくは飲食業界全体に及ぶ問題の解決を目指しています。
この業界が学生から不人気であることは有名な話。
向き不向きの問題などが顕著に出る事で、
真面目に働いたとして給料が上がるとは限らない業界の現実が、
そうさせているのかもしれません。

店舗規模の拡大とともに、幹部としてマネジメント能力を持った人の給与は上がりやすくなるが、
1店舗の中でしか人件費を計上出来ない店長や料理長は、
現場力があるからといって、そう簡単に給与を上げていくのが難しいのです。
この現実を変えたい、そして、優秀な人材を呼び、市場の拡大を目指す。
これが私達のミッションなのです。

現場の人間を送り出す

創業当時、私は仲間と共に死ぬような思いをして100店舗という数字を目指してきました。
店舗を任せる店長、料理長やアルバイトの学生など、
多くの仲間と共に規模の拡大を行っていく中で、
幹部の存在が必要になってきました。

苦労を共にした店長や料理長に幹部を任せたくなるのですが、
実際その人たちに管理職が向いているかというと、そうでもない場合が多かったのです。
飲食業界においてその強みの種類は給与の差となって色濃く出てしまう傾向にあるのです。

学生はこの現実を見ています。
優秀な店長が、優秀な料理長が良い思いを出来ていない、
自分の「楽しい」と思えるところを極めても、楽にはなっていかない。
こんな状況では不人気なのも無理はありません。
私の変えたいのはまさに、この状況なのです。

私が送り出したいのは幹部ではなく現場の人々。
「現場力」のある店長、料理長達が仲間の前でプレゼンを行い、仲間達にも認めてもらったら、
投資をしてあげられるような独立支援をみんなで創りたい!
この様なイベントを通して、真面目に頑張っている人が本当に報われる業界を作っていきたいですね。

僕が松村社長にしてもらったように飲食ドリームを社員みんなに味あわせてあげたい。
そう強く願っています。

笑って歯を食いしばれ

26歳まで続いたフリーター時代の時間は、私を創る重要な要素になっています。

しかし、理念やビジョン、ミッションや自分の可能性、
今僕らが必要に伝えようとしている事をもし学生時代に知ることができたなら、
行動は変わっていたのではないかとも思うのです。

皆さんの中には起業を考えている人もいるでしょう。
その様な人は是非次の三つの事を意識してみてください。
1、当たり前のことを誰よりも早く行う。
誰でもやれる事は、出来る限り早く行い、空いた時間で多くを得てください。
2、仲間を作る。
仲間の多さは、そのまま出来る事の大きさにつながります。
3、辞めない
何事も続ければ必ず実を結ぶはず。
この三つだけです。
特別な才能はいりません。
これが私の成功のポイントとなります。

後は何事にも言える事ですが、
「笑って歯を食いしばる」
創業一年目、家族の様な仲間たちと、全てが辛かった時期を乗り越えた時のキーワードです。
辛そうにして辛い事を乗り越えるのではなく、
常にワクワク感を持ち、笑って壁を乗り越えること、
皆さんにもそれを実行してほしいと思います。

シェアゼロ株式会社 代表取締役 中川 亮

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代表取締役 中川 亮

代表取締役 中川 亮

設立 2011年3月8日
事業内容
    • フリーエンジニアと企業をマッチングするウェブサービス提供
    • クラウドサービスの比較・レビューサイト運営
    • コワーキングスペース「LightningSpot」の運営
会社HP http://share0.net/

漠然とした社長への意識

大学時代は典型的な、遊び放題の学生でしたね。
バイクが大好きで、乗り回してました。
それからスノーボードに熱中したり、女の子と遊んだり……(笑)
経済学部だったのですが、勉強にはあまり身は入れていませんでした。

そんな遊んでばかりの学生ではあったのですが、
なぜか、昔から、漠然と社長というものになってみたいという気持ちはもっていました。
なにか根拠があるわけではなく、自分は社長に向いている!
と勝手に思い込んでいたというのが実際のところなのですが。
でも、そういう社長さんは他にも多いのではないかと思いますよ。
事業として、これを元手に起業したい、というようなアテもありませんでしたし、
現在展開しているビジネスはその時期にはまだ考えてもいませんでした。

実際に社長業への駒を進められたのは、
大学卒業後7年間勤めた金融コンサル職を離れてからです。
結婚して、おこづかいも出ないのでこれはまずいなと(笑)

シェアエコノミーに魅かれて

「シェアゼロ」は、実は僕の3回目のチャレンジです。
これまでに、人材関係の会社とIT関係の会社を一つずつ立ち上げています。
弊社は現在設立して4年目ですが、
これまでの会社で培ってきたノウハウを駆使して、
シェアエコノミー領域でのサービスを広めていきたいと考えているところです。

シェアエコノミーというのは、人材にせよ、モノにせよ、
会社や個人ごとにいちいち「所有」するのではなく、
みんなで「共有」して効率的に利用していこうという考え方のビジネスモデルです。
ソーシャルメディアを通して、
現在はそのような貸し借りの管理がしやすくなっているので、
IT社会ならではの新しいビジネスだといえます。
それに加え、今の時代は大量消費社会からの転換期でもありますし、
よリ少ない資源を共有して活用するという点で、
シェアリングはエコロジーな面でも時代に合ったビジネスだと思うんですよ。
現在提供している『Lightning Spot』や『PROSheet』といったサービスは、
いずれもこの考え方に私が魅かれて、それをもとに始めたものです。

人と企業がつながるプラットフォーム

『Lightning Spot』は、企業さんや個人事業主の方に、
オフィスシェアリングをするというサービスです。
会社ごとにオフィスを借りなくても、一つのオフィスの中の間借りで、
能力のある方たちは良い関係を作りながら仕事できるだろう、
という考えから提供しています。

一方、『PROSheet』ですが、
こちらではフリーランスのITエンジニアの方々と企業のマッチングをしています。
現代はフリーランスが活躍する時代になりつつあると思うのですが、
仕事という段になるとやはり企業から彼らに入ってくるという形になります。
その架け橋、プラットフォームのようなものを作りたい、
という発想で始めたのがこのサービスです。

ITのエンジニアという職種は、いろいろな企業が最も人材不足で悩んでいる分野です。
またエンジニアの方々をみると、技術に特化した職人肌の人が多くて、
どうしても営業をする能力、自分のアピールという面で悩んでいる部分はあると思うんです。
そこでこの両者をつなぎ合わせるプラットフォームのような場があれば、
それはニーズにかなうのではないかということで、
エンジニアという業種にフォーカスしたサービスにしました。

「好き」で活きて「得意」で稼ぐ

『PROsheet』のコンセプトは、
「『好き』で活きて『得意』で稼ぐ」。
週2回からのIT仕事とエンジニアに紹介するサービスです。

今後のビジョン

現在は首都圏を中心として、
エンジニアと企業という限られたマッチングをしているわけですが、
今後はエンジニア以外の様々な職業にも枠を広げていきたいと考えています。

アジアでいうと3年のうちに、5,6年以内でもっとグローバルなスケールで、
サービスを提供できるようにしていきたいと考えてます。

さまざまな経験、価値観に触れて

就職活動についてはあまり興味がないし、
その業界のこともよく分かりません。
ただ、学生の皆さんに大手にこだわる必要はないとは感じますね。
大手企業に行けば人数も多く、
ワン・オブ・ゼムになってしまうことは避けられない一方で、
ベンチャー企業では新人時代から必要とされ、
いろいろな経験を積めます。
積まざるを得ない職環境でもありますしね。

起業を考えている学生さんは、
もちろん大学できちんと勉強したほうがいいとは思います。
自分が勉強してこなかった経験からもそう言えます。
それ以上に大事なのは、さまざまな体験を通じて、多くの価値観に触れること、
世界を旅行してみるようなことは後できっと役に立つと思いますね。

アースデザインインターナショナル株式会社 代表取締役社長 塚本英樹

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代表取締役社長 塚本英樹

代表取締役社長 塚本英樹

設立 2000年9月7日
事業内容
    • GPSによる産業廃棄物の処理工程の追跡とシステム管理
    • 産業廃棄物の適正処理を評価
    • 国の電子マニフェストの実用化、普及に向けたASPソフトの提供
会社HP http://www.edi.ne.jp/

想いをビジネスにしたい

この事業を始めたきっかけは、前職での廃棄物処理の仕事でした。
僕は事情があって大学を中退しましたが、その後に廃棄物処理の会社に就職し、
朝早くからダンプに乗って、夜中まで毎日懸命に働いていました。

学生を辞めてダンプの運転手になった時は、
僕自身は何も変わっていないのに、
周囲からの僕に対する見方は変わってしまい、当時は辛い経験をしましたね。

正直、廃棄物処理の仕事は、人がやりたがらない仕事です。
しかし、実際に自分が仕事をしてみて、身を持ってその大変さや重要性を知ることが出来ました。

そして仕事を通じて得た経験から、様々な現実を目の当たりにしてきました。
そこで感じた疑問や課題が見えてきたとき、
「もっと、こうしたらいいのではないか」
「もっと、こういう風であって欲しい」
という想いが僕の中には生まれたのです。

そういった自分の想いを形にし、
ビジネスにしたいという気持ちが起業の原点です。
社会や世の中に喜んでもらえるものになれたらいいなという、
強い想いから、事業をスタートしました。

13年間続けた先に見えたもの

僕は13年間、産業廃棄物のダンプの運転手をしていたのですが、
僕自身もダンプの運転手になるなんて想像もしていなかったことでした。
もともと好きで入った世界ではなかったんですね。

しかし、どのような仕事でも長く続けていると、
業界の長所や短所、改善すべき課題もたくさん見えてくるんですよね。

特に不法投棄の問題は、真剣に取り組まなければならないと思いました。
13年間、この不法投棄がどうしたら減らせるのか、
その方法を模索し考え続けてきました。
そうやって仕事をしていく中で、色々な経験を積むことが出来ましたね。

当時は、インターネットがどんどん普及し始める頃でした。
私はITをうまく活用することで、産業廃棄物業界に新しい風を吹き込めればと思ったのです。

それを実現させるためには、会社に提案するという方法もありますが、
やはり自分の想いをしっかりとした形にしていくには、
自分で会社を立ち上げるしかないと思いました。

震災後の福島へ

東日本大震災後、
除染や放射性廃棄物の問題が出てくる可能性があるだろうということで、
震災後はすぐに福島に行きました。

福島県のこれからの復興に向けて、
自分たちの廃棄物業界でのトレーサビリティの技術が、
何かお役に立てるのではないかと思ったからです。

除染廃棄物や、色々な仮置き場にある廃棄物の問題も含め、
適正に除染が進められているという証明であったり、
除染廃棄物の管理であったりといったところですね。
現在、そういった方向性でも事業を進めている最中です。

環境全般に渡って、透明なデータをきちんと管理出来る仕組みを提案、開発出来る会社作りというのが、
今後は更に重要になってくると思いますね。

僕自身も13年間、産業廃棄物の適正処理とか不法投棄とかがある中で、
それをどう管理していくべきかというのを経験していますから、
福島でも、様々な問題が起きた時にその経験を生かして、
復興のお役に立ちたいという想いは凄く強いですね。

産廃業界を変えていきたい

「いつまでも美しい地球であって欲しい」という想いから
「えころび」という事業を行っております。
これは、大手メーカーや廃棄物処理業者、地方自治体などに向けたサービスです。

廃棄物の不法投棄や不適切処理の撲滅のため、
各企業から排出された廃棄物が、
最後まで適切に処理されているかを監視出来るシステムです。

それまでは、産業廃棄物の処理に関しては不透明な部分がありましたが、
それを目に見える形に証明出来るようにしました。

GPSや携帯端末、宇宙の衛生や動画像を使用することにより、
廃棄物がどのような経路で運ばれたかを確認出来ますし、
処分場に行く途中で不法投棄が行われていないかを確認することも出来ますし、
廃棄物を処理した時間や場所を正確に把握することが可能となるのです。

これにより、ゴミを排出するメーカーが安心して
廃棄物処理業者に任せられるようになるのです。

弊社ではこのビジネスモデルの特許を持っていますが、
実はこの特許は起業をする前に取ったものなのです。

当時は特許を取るのに、何十万もかかりましたし、毎年更新料も払っていたと思うと、
いろんな意味でやりたいことを実現させるためには、
腹をくくるということは重要だと感じますね。

オンリーワンの位置づけ

トレースサビリティという事業は、14年間ずっと進めてきているところですが、
弊社の想いとしては、
きちんとした正確な情報を企業や国民に知ってもらえるような会社作りを
今後のビジョンとして描いています。

環境全般において日本の環境というものを、
世界のオンリーワン的な位置づけにしていきたいと思っていますね。

そのお役に立てるような仕組み作りのひとつがトレースサビリティでもあります。

今後は廃棄物だけではなく、食であったり文化であったり、
美の世界に対しても、日本は世界に誇れるものがたくさんあります。
そういった広い視野での大きな仕組みを作っていけたらと考えています。

具体的には、それらの正確なデータや情報をきちんと整理して、
それをしっかりと人に伝えていくということですね。
そして、その集約した情報を的確に発信していける企業を目指しています。

さらに、普段生きている中で、
ビジネスや生活面において、
ポジティブな気持ちで過ごせる会社作りというのも今後の目標のひとつですね。

日々考え、日々実行

自分でやりたいことがあるとか、何かがやれるとか、
自信というものも大事かもしれないですが、
自分が好きなことが明確であることも重要だと思いますね。

例えば、環境という分野も幅広いですが、
この分野が好きで、それを仕事として作り、
それでたくさんの人が喜ぶ結果に繋がれば、
当然そこには人が集まって来るわけですよ。

そうすれば、そこには自然と仕事が生まれることになるので、
会社の中でも信頼を獲得していけますよね。

そういう結果を生むためには日々考え、日々実行していくことが大事だと思います。

会社に全てを求めるのではなく、
自分が何がしたくて、何が出来るのかというのは、
失敗や苦しい経験も含め、
色んな経験を積んでいく中で見い出したり、発見していくものだと思うので。

そして七転八起で、失敗を繰り返しつつも立ち上がっていくこと。
その繰り返しで人としても強くなると思いますし、
そこで見い出した自分の課題に挑戦し克服していくことで、
どのような仕事でもこなしていけるようになるはずです。

株式会社プロフィット・ラボラトリー 代表取締役 平川雅之

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代表取締役 平川雅之

代表取締役 平川雅之

設立 平成18年4月
事業内容
    • マーケティング戦略の立案及びプロデュース
    • FAXDM配信代行サービス
会社HP http://profit-labo.com/

決められた仕事をするのが合わないと実感

私は今32歳ですが、高校時代の頃から既に独立を意識していました。
当時は不景気で、やりたい仕事をやるのなら自分で会社を起こすしかなかったので。
しかし、将来の夢を「経営者」と書いたところ、担任の先生には馬鹿にされてしまいました。
ですが、かえって「何くそ!」と自分を奮い立たせ頑張りましたね。

それから商売を学ぶために早稲田大学の商学部に入学。
ところがサラリーマンになるための勉強が多く、
経営者として必要なものを教えては頂けなかったんです。
大学に行っても経営ができるようになるわけではない。
そう教えられましたね。

いざ就職活動となって、独立するためにはどうしたらいいのか?と考えた末、
地元の銀行に就職をしました。
しかし、大手だったこともあり、全てがシステマチック。
自分で考えて行動するということができない状況でした。
決められた仕事だけをする日々は「自分には合わない」。
そこに気付いた私は、入社1年後に勢いで退社しました。

失敗から学んだことを活かして、再度チャレンジ

退社をしたのは2006年の3月のこと。
お金も何もない状況でしたが、その年の5月から
「1円」の資金からでも会社を創設できるといった、「会社法」ができたんです。
私にとってそれは願ってもないチャンス。
早速、退社した2ヵ月後の5月に、会社を設立しました。

事業内容は、ネット上でスポーツ施設の仲介をするというもの。
ですが全然儲からなくて、社員は離散。
サービスも無くなってしまいましたが、会社の名義だけが残ったんです。

幸いなことに借金をすることはなく、
今回の失敗で「自分はマーケティングについて全くわかっていなかった」ということを
知ることができました。
痛感はした。なら今度はそこから始めよう。
生活のために夜は深夜レンタカー屋でアルバイト。
一方昼は、マーケティング集客などを行っている企業に
「無料でいいので手伝わせて下さい」とお願いをして、手伝うこととなりました。
もう修行のつもりでやっていましたね。

フレンチの食べ放題

2012年頃、弊社は飲食店を引き継ぎました。
そこはコンサルティングを通じて知り合ったお店で、当時不況に立たされていたのです。
資金繰りをどのようにしても、うまくいかない。
だから、従業員とお店を引き継いでくれないかと相談されました。
私は承諾し、お店の立て直しを図ったのです。

それまではコースやパーティメニューなどで、顧客は団体客に頼った体制でした。
しかし、この事業では収益は上がりません。
そこで様々な企画を作り実行、また企画の練り直しと試行錯誤をしました。
その中で成功したのが、「フレンチの食べ放題」です。
フレンチはそもそも値段が高く、気軽に行けないものです。
しかし、とても美味しい物でもあります。
だからこそ、お腹いっぱいに食べることが出来る食べ放題にすることで
顧客を団体客から、一般客へとずらしたのです。

また販売方法を他社サービスにお願いするのではなくて、
フェイスブックやテレビ、新聞などのマスコミ戦略を行いました。
その成果もあり、満席といった結果に結びつきましたね。

販売方法、顧客、商品をずらす

弊社の基本的なプロデュースの方法は、「商品」と「顧客」と「販売方法」を“ずらす”ことです。
今やっている商品とは何なのか。
その顧客は誰なのか。
販売方法はどのようにしているのか。
それをずらしていくことで、新しい市場を生みます。
観点を変えて物事を考えるのが、弊社の強みなのです。

また、どうずらしていくかというのは、様々な販売方法である“戦術”を知らないと出来ません。
戦術は目標を叶えるための“戦略”の、1つの手段です。
しかし、戦術を知らないと戦略を作ることさえ出来ません。
コンサルティングにおいて、絵を描いてそれで終わりとする会社は多々あります。
そこを弊社では、戦術までしっかりとサポートしているのです。
良い商品や、良いサービスを扱う会社を世の中に広めることが弊社のコンセプトですからね。

弊社は様々なプロデュースをしてきました。
その中で、難しいことの1つは競合相手がいないことです。
認知されていない。ということですからね。
その場合、一番有効になってくるのがマスコミ戦略であるPRになります。
新聞やテレビを通して情報を発信し世の中に広めることで、
初めて広告宣伝が生きてくるのですよ。
あぁ、これ知っている。とね。
難しいことというのは、取れればでかいチャンスの部分でもあるのです。

新規100事業

弊社は、FAXを使った営業をしています。
周りを見ても、今時FAXを使っているのは弊社だけですね。
ほとんどの会社は、インターネットへと移りましたから。
インターネットの時代、だからこそ競合相手のいない紙媒体であることが強みになるのです。
しかし、この先FAXを扱う会社が増えてくれば弊社はまた違う道を選びます。
真っ向勝負を弊社はしません。
誰もが取り組まないことを弊社は行っていきます。

また10年後の目標として、多くの事業を作り、多くの経営者を育てたいと考えています。
数値としての目標は、新規事業を100個ですね。
要は、自立して欲しいのです。
自分で事業を作れるプランナーになってほしいのです。
別に無理して会社組織を作れ、と言っているわけではありません。
子会社でも事業部でも、自分のアイデアで勝負をしてみて欲しいと思います。

弊社は、新しい市場を見つけていく会社です。
チャレンジして失敗をすることが大切なのですよ。
世の中に新しい付加価値を提供していく。
それは成功した時、非常に嬉しく楽しいですから。
チャレンジをし、新しい市場を開拓する。
それが、弊社のコンセプトです。

どんどん失敗をしよう

学生の中で経験してみたい業務や興味を持っている会社がある方は、
その人事部に電話をして「お金はいりませんから、そこで働かせてください」
と自分を売り込んで欲しいです。
入ってしまえば業務は覚えますから、そうすれば勝手に採用されます。
周りと同じ土俵で戦う必要はありません。
むしろ、そうしないともったいないです。
仕事は雑用でも構わないのですよ。
顔を覚えられることが大切です。

また、一番重要なことは「コンセプトをどのように作るのか」。
そして、「資金調達能力をどのように磨くのか」ですね。
そのためにも大学の4年生には、一度起業をしてください。
会社経営を一度やってから、他の会社に入ると10倍も能力に違いが出てきます。
全体の流れを理解しているのとしていないのでは、
社長や上司と話す上で相当に違ってきますからね。
何が大切なのか、資金はどこから調達するのか考えるようになれますよ。

起業をし、ひたすらに苦しんでください。
今の時代、起業するのにお金は必要ありません。
失敗することは必ずあります。
失敗し実力を伸ばしてください。
レールに乗らず、走り続けていればどこでも就職できるようになっていますよ。

株式会社エストゥルース 代表取締役 丸山 功

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代表取締役 丸山 功

代表取締役 丸山 功

設立 2009年7月8日
事業内容
    • 不動産に関するコンサルティング業務
    • 不動産の賃貸借
    • 不動産の売買
    • 不動産に関する管理及び仲介
会社HP https://www.estruth.co.jp/#home

若くてもチャンスを掴むことができる。それが不動産業界

そこに魅力を感じ、私は新卒で不動産会社に入社しました。
実力主義の不動産業界では、知識が無くても、
努力次第で結果を出すことが出来る。
そんな世界観で「生きる力」を身に付けて行きました。

そして入社してから三年半。
「自分はどこまで出来るのか」を試したくなり、
やがて「チャンスをつかみたい」という思いが強くなりました。
その会社に不満があったのではなく、
より大きな、より多くのチャンスに挑戦したかったのです。

そこで、志を共にする同僚と会社を立ち上げ、事業をスタートしました。
会社を設立した頃というのは、ちょうどリーマンショックの後で、
不動産業界に限らず、世の中全体が厳しい状況でした。
しかし厳しい時代だからこそチャンスだ!
そう私達は考えていました。

エストゥルースの事業内容とは

近年、日本の社会・経済環境は大きく変化し、
期待される年金制度等の社会保障も十分に得られない可能性も出てきました。
これまで経済発展の大きな基盤となっていた国際競争力も弱まり、
今後もかつてのような飛躍的な発展も期待できません。
一方で医療の発達により日本人の平均寿命は年々延びており、
リタイア後の人生が20年以上という事もめずらしくありません。

このような状況におかれた日本において、
今後生涯にわたって安心して暮らして行くためにはどうするべきだと思いますか?
給料と退職金、年金などの社会保障だけで十分に暮らして行けると思いますか?
その解決策として注目されているのが「不動産を用いた資産運用」です。
私たちは、将来に不安を抱えた方に対して、
“ゆとりある暮らし”を実現するための人生設計をお手伝いしています。

当社のビジネスにおいて重要なのは、
どの地域の物件を紹介するか。
現在、都内の人気物件のみに絞った販売を行っております。
その理由は、圧倒的な物件の供給不足が起きているからです。
現在、都内の供給戸数が約99万戸に対し、都内の単身者の人数は250万人。
つまり、比較的交通の便が良い場所であれば、すぐにでも住み手が付く状態。
そのため、私たちも自信を持ってお客様に物件のご紹介ができますし、
特に当社では複数の厳選されたブランドを取り扱っているため、
お客様のニーズに合った物件のご案内をさせて頂いております。

多くの人を幸せに出来る会社へ

「人と人の絆を大切にし、関わる全ての人に夢と幸せを提供し続ける」
これがエストゥルースの理念です。
当社は平均年齢20代後半の若い組織ながら、2009年設立以来、成長し続けています。
その成長の根源には理念の追及があります。
出会った人全員との絆を大切にする。それは人として当たり前なことと思いつつ、
なかなかできないことです。
私たちは、お客様をはじめ社内外のすべての出会いを大切な「縁」として受け止め、
相手の立場を理解・尊重し、関わる人々に最大限の「夢」と「幸せ」を提供し続ける。
これを愚直なまでに遂行していくことが成長の要因だと考えています。

結果、現在4年連続で150%成長を遂げる会社となりました。

150%成長の理由

成長の理由には、高いコンサルティング能力を持った人材の育成にあります。
そして、お客様に不動産投資のメリットとデメリットをきちんと説明し、
当社が提案する物件の有益性をお伝えすること。

-真の価値を提供する-

『お客様の幸せ』を考え『本当に必要とされるもの』を提案する。
そんな、当たり前で重要なことを繰り返すことで健全な成長を遂げてきました。

また、結果を正当に評価するための様々なインセンティブも用意しております。
1件契約に対しての歩合は同業の会社と比べても非常に高い設定をしています。
さらに、連月契約手当や、成績優秀者への海外旅行なども用意。
また、1件の契約で1日有休券をプレゼントしており、
プライベートを楽しめる仕組みも作っています。

もちろん、待遇の良さがすべてではありません。
ただ、せっかく社員が頑張り、成長してくれたのであれば、
会社としてしっかりと評価してあげたい。
それがエストゥルースの考え方です。

私たちがこれから目指す場所

そしてこれから目指していくのは、
エストゥルースの自社ブランドマンションを手がけること。
良いものを自分達の手でつくるため、物件開発から携わっていくのが目標です。

「人と人との絆を大切にし、関わる全ての人々に夢と幸せを提供し続ける」
この企業理念を胸に、真の価値を追求すべく事業を展開していきます。
また、人材採用を強化しており、特に新卒採用に関しては、
私自ら説明会~最終選考まで携わって行っております。

何か一つでも、自信を持てることがあれば、
私たちはその長所を伸ばしていくことに専念します。
結果、2013年で入社した新卒は先輩に負けず劣らずの活躍をしており、
役職も1年間で数段アップしているメンバーも多数います。

私たちの考え、理念に共感し、20代で多くの活躍をしたいという方は、
是非当社の選考を受けに来てください。

株式会社リビングスタイル 代表取締役 井上俊宏

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代表取締役 井上俊宏

代表取締役 井上俊宏

設立 2007年10月
事業内容
    • 住宅等の間取り・配置シミュレータサイトの企画・運営
    • 住宅等の間取り・配置シミュレータの開発
    • 家具等 インテリアに関するデータベースの運営
    • 住宅・インテリア等に関するインターネットを利用した情報提供
会社HP http://www.livingstyle.co.jp

引っ越しの経験から発想

このビジネスを始めたきっかけは、
15年ほど前に自由設計のマンションに引っ越したことでした。
自由設計ですので、自分の好みに間取りや内装をデザインしていくわけです。
その手順としては、部屋のインテリアの自分なりのイメージをまず設計士の先生に伝え、
ある程度経ってからそれが形になって届き、また要望を伝え…
という風に進んでいくのですが、
私には次第に、そうやって決めるのが非効率的に感じられてきたのでした。
そこで、Excelを使って自分でいちから設計図を作り、内装をデザインしました。
IT系の企業にいたこともあり、自分でパソコンで製図する技術はあったのですが、
そのときに「これをネットサービスにしたらいいのに」と、ふと考えたついたのです。
誰かがそういうサービスを開発してくれればな、というくらいの思いつきでしたが、
以後5、6年たっても、私の考えたようなサービスが出てこなかったのを見て、
それなら自分で始めてみよう、と決心して立ち上げたのが弊社でした。
私自身は、学生時代も社会人になってからも、
「起業したい」という気持ちのあまりない人間でした。
誰か、やるだろうなと思っていたのですが、誰もやりそうにもなかったので
やむなく自分一人で会社を興す、という形になりました。

家具の「配置シュミレーション」サービス

弊社の配置シミュレーションサービスは、
私が引っ越しの際に考えたことをまさに形にしたものです。
家具の配置や内装といったインテリアコーディネートを、
ネット上で簡単に、自分自身ですることができるようになっています。
実際のデザインを再現した家具を、3D画面上で動かせるので、
リアルな見た目をシミュレーションできるのが強みです。
仕事としては、お客様である家具ブランド、
たとえば無印良品さんやFrancfrancさんの商品の、
カタログデータをこちらで集約し、全部3D化していくことです。
3D化の具体的な作業に関しては、労働集約的な作業になるので、
現在のところ海外の会社にアウトソーシングしています。
これに対して、新サービスのご提案、サービスのシステム開発、
またお客様の要望にスピーディーに応えるというような、
「考える」仕事については、会社の付加価値として内政化している部分となっています。

ノウハウとスピード感で差をつける

現在、ネット上でのインテリアコーディネートサービスを
本格的に提供しているのはほぼ弊社だけです。
これから資金力のある大手企業が参入してきたら、
ということへの不安もあるにはあるのですが、
しかし今からインテリア業界で似たようなことを始めようとしても、
なかなか私たちには追いつけないんじゃないかという気がしますね。
それは3D化という技術においてというよりもむしろ、
ノウハウとスピード感という部分で、我が社とは大きな差が出ると思うからです。
正直にいって、技術というものは誰かが考え出せば、
他の誰かによってすぐに追いつかれてしまうものです。
それに比べて、蓄積した細かいノウハウと、
そのおかげで実現できる仕事のスピード感という部分は、
すぐに真似できるものではありません。
たとえば、家具のふわふわした質感の出し方ひとつをとっても、
ちゃんと我が社だけのノウハウがあるんですよ。
会社の付加価値というものはこういう箇所から生まれるんだなと思います。

タブレット・スマートフォンでの使いやすさ

強みということでいえば、このサービスの
タブレットやスマートフォンでの動作の軽さということも挙げられます。
実は、私がこのビジネスを始める以前にも、
同種の機能を持つパッケージアプリケーションが他社から出ていたのですが、
それはパソコンに取り込んで使うという形のものでした。
しかし、私はあくまでブラウザ上のサービスとしてこれを提供したかったので、
そのためにより軽いシステムを目指して開発を続けました。
その結果として、タブレットのような小さめの端末でも、
かなりスムーズに動作するようなシステムになったというわけです。
3Dの技術をここまで滑らかに動かせるサービスは、他にあまりないと思いますよ。
最近の若い方は大きいパソコンを持たないで、
iPadやiPhoneのような手軽なハードで済ます人が多いで、
そういう層にとっても、通勤の電車の中のような場所で軽く動かせる、
というのは、技術的な部分での大きな売りだと思います。

新しい「住」のサービス作りをしたい

このサービスは、主に企業様のウェブサイトやアプリの中で活用されていますが、
普通のユーザーさんの目線で考えてみたとき、
部屋のインテリアすべてを単一のブランド製品で揃える、という人はいないですよね。
それで今考えているのが、たくさんのブランドを横につなぐようなビジネスです。
椅子はこのブランドで、ベッドはここで、というように
比較・選択をできるサービス作りをすれば、世間にはかなり喜んでもらえると思うのです。
というのも、「衣食住」の3要素のうち、「衣」「食」に関しては
「ZOZOTOWN」や「ぐるナビ」といった百貨店的なサイトがあるものの、
「住」の、特にインテリア商品を扱う総合的なサービスはまだないんですよ。
それを提供するノウハウが我々にはあるし、
私自身、もともと実現させたいと思っていたことでもあります。
「amazon」がショッピングのあり方を大きく変えたように、
長期的な目で見れば、我が社の作ったサービスが大きくなることによって
日本の住環境に変化を起こせたりするかもしれないわけです。
その足がかりとしても、近いうちにこのようなサービスは世に出すつもりでいます。

会社にずっと残って欲しいとは思わない

会社の組織について申し上げると、
現在正社員が4名、それに加えて派遣社員やアルバイト、というところです。
もちろん一生懸命仕事してくれている皆には頑張ってもらいたいですし、
また感謝もしています。
でも私としては、会社にずっと残って欲しいとは思わないですね。
そもそも、私も含めひとりひとりの人間の方向性は違うわけです。
そんな個々人が、「ひとつの会社でずっと一緒に仕事する」
ということはあり得ないことだと思うんですよ。
いろんな人がいろんな経験をするからこそ、新しいビジネスの種も見つかります。
こだわって居座ったところで、人脈も広がらないし、
新しいことも始められないのですから、いいことなんかありません。
社会全体でも、今後雇用が流動化していくことは確実でしょう。
それを企業が囲い込むようなことは時代に合っていないし、
私はいい意味で、どんどん社員には外に出て行って欲しいという気持ちでいますね。

株式会社アールキューブ 代表取締役 山崎令二郎

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代表取締役 山崎令二郎

代表取締役 山崎令二郎

設立 2006年5月
事業内容
    • ブライダルプロデュース
    • 音楽家の各種イベントへの派遣
会社HP http://www.rcubeinc.com/

NZから帰国後、働き始める

私には就職活動の経験がありません。
高校卒業後は、少年時代から取り組んできたラグビーを続けるため、
国内の大学には進学せずに本場ニュージーランドへ渡りました。
地元のユースチームで2年間を過ごした後、
帰国するタイミングに、ある現地企業の社長に頼まれ、
日本でその企業製品の販売をすることになったのが
ビジネスマンとしての出発点。

当時その会社は日本での取引先を持っておらず、
私はたったひとりで販促物の翻訳から、
企業のホームページ作成までをこなしながら売り歩きました。
何かと大変でしたが、私にとっては楽しい日々でした。

元々、どこかの企業に就職し
組織のなかに入って仕事をする気がなかった私がイメージできる将来像は、
自分のしたいことを自分で手掛けて実現していく姿だけでした。

日本での取引が軌道に乗り始める頃合いをみて、私は会社を離れ、
程無くして自ら事業を起こすことになったわけですが、この時も初めはひとりきりでした。

ブライダル事業への経緯

2014年現在はブライダルプロデュースが事業の軸となっていますが、
創業時は音楽家のイベント派遣をメインの業務として行っていました。
自分自身、子供の頃にバイオリンを習っていたことや
弟が音楽大学に進学したということもあり、
音楽家の世界は自分にとって身近な存在でした。

ミュージシャンたちの活躍の場として、各種イベントでの演奏というものが
一般的に考えられている以上に大きな割合を占めていることも知っていました。
その様な場への営業を、彼らの代わりにするような会社が必要だろうという発想から
この事業を始めました。

自分ひとりで大学の前などに立ち、チラシを配るところからのスタートでしたが、
徐々に協力してくださる音楽家たちが集まっていきました。

ブライダル業界は、その頃にはまだ単なる営業先の一つ。
つまり、結婚披露宴にジャズミュージシャンであったり、
ゴスペルの聖歌隊であったりを派遣する上での取引相手だったのです。
それが現在、ブライダルの業務を中心にさせて頂いているのは、
仕事依頼を受けて、この業界の現場に出入りするなかで、
結婚式を取り巻く状況に疑問を感じる部分が見えてきたためでもあります。

低コストで効果的な「会費婚」

結婚式というのは、一生に一回のイベントであることをいいことに
料金設定が不透明な部分があり、それがそのまま放置されているのが現状。
大手の業者に頼んでもオプションを付加することで、
挙式費用が加算してしまうことが多々あります。
このことに疑問を感じ、自分たちで100%お客様を想ったサービスをつくるべく、
ブライダル事業を本格的にスタートさせます。

「結婚するおふたりにとって必要なもの」だけを提案すること。
パートナーの業者の方にご協力いただき、不必要な部分の費用をできるだけカットすること。
集客方法も、できるだけ低コストかつ効果的であることに重点を置き、
もっとも無駄のない形で結婚式を提供できるようにすること。

それに加え、「会費婚」というモデルを取り入れていることが、
弊社のブライダル事業の最大の売りです。
「会費婚」というのは、御祝儀制ではなく会費制パーティーにすることにより、
出席者にも負担を少なく、かつ確実性を持って費用を募り、
新郎新婦への負担をほぼゼロで挙式・披露パーティーを実現させるというサービスです。
このサービスは、競合他社もほぼ存在せず、
他社との差別化、強みの部分となっています。

成果ポイントは「お客様の紹介」

音楽家の派遣サービスも
昔からお付き合いさせてもらっている企業様を中心に続けさせていただいておりますが
それ以上に、立ち上げ後からブライダル事業が順調に成長しており、
現在では当社の売上のうち90%以上を占めるまでに成長。
この事業を始めてから、
想像もつかない様々な事情で結婚式を諦めざるをえなかった方々が
これほどまでに多くいらっしゃるんだいうことに気づかされました。
その様な方々に対して、自分たちがより良いサービスをお届けできるということは
本当にやりがいがある良い仕事だと感じます。

「より良いサービス」であることを守るために、
私は社員の評価基準を数字ではなく「お客様の紹介」に設定しています。
自身に置き換えてみても、一生に一度の大切なイベントである結婚式を紹介するということは、
とても勇気が要ることです。
本当に満足して喜んでいただけなければ、
他のお客様に紹介の輪が広がるということはないと思うのです。
少なくともこの業種では、数字での成果主義よりも、
この「お客様の紹介」があることこそが、
お客様に本当の意味でご満足いただけた証となると思っています。

結婚式の価値観を変えるために

現在、アールキューブは会社を大きくしていく過渡期にあります。
今は東京に1店舗を構えていますが、今後は地方展開も考えており、
徐々に出店準備を整えている段階です。
東京都内から全国へと商圏を広げていくために、多様なサービスを鋭意計画しています。
これから事業のスピード感もさらに早くなっていくことが予想できます。

私たちアールキューブの大きな目標は、会社の利益よりも社会全体の利益になること。
日本のブライダル事業はあり方が固定化しすぎていて、
そのために結婚式を挙げられない新郎新婦が大勢います。
だからこそ、このサービスを世の中に広げていくことで、
まず日本で既成の結婚式のあり方、価値観を変えることが必要なのです。
会社として世の中に良き影響を何か一つでも残せなければ、
仕事をする意味もない、という心構えでいますので、
5年スパンで大きな目標に近づいていきたいです。

自分が好きになれる人と働きたい

求める人物像という部分において、これまでの採用でもそうしてきたのですが、
結局、私がその人を好きになれるかどうか、ということを一番重視しています。
サービス業かどうかに関わらず、
仕事というのは人との関わりあいの中で生まれるものです。
社内コミュニケ―ションという部分はやはり重要で、
そこで心ある付き合いの出来る人間と働きたいと強く思っています。

出身大学や職歴、能力も問いません。
私自身、初めからブライダル業界でスタートしたわけではありませんし、
この事業にたどり着くまでに色々な厳しい時期を通り抜けてきました。
これからも社会はどんどん変わっていくでしょう。
会社を存続させていかなければいけない時、
一番頼りになるのは、特定の能力を持っている人ではありません。
ハートの部分で通底している人です。
これから会社を大きくしていくなかで、気持ちを通じ合わせて走れる人であれば
私たちと共に成長していけるはずです。


株式会社ビリング 代表取締役 中村一彰

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代表取締役 中村一彰

代表取締役 中村一彰

設立 2012年10月
事業内容
    • アフタースクール(民間学童保育)運営
    • キャリア教育事業
会社HP http://nicofca.co.jp/

教育の現場で覚えた違和感

もともと私は教師志望で、大学でも教育学部に進学していたのですが、
卒業後には教師ではなく、一般企業への就職という道を選ぶことになりました。
それも不動産という、まったく想定していなかった業界の企業です。
どうして進路を変えることになったのか、
そのきっかけは、教育実習の際に感じた日本の教育のあり方への違和感でした。

実習期間中に、道徳の授業を担当する機会があったのですが、
その指導の方針として、自分で夢を叶えるチャンスをつかむよりも、
約束を守ることの大切さを教える、ということに重点が置かれていました。
この内容自体は、私も間違ってはいないと思います。
しかし、それをすべての子供に、画一的に教え込むことにはとても違和感を覚えました。
まだ学生だったので、自分なりに噛み砕いて教えたり、
それを1つの考えとして議論を広める技量もなかったのですが、
なにかこのカリキュラムに、「画一的な集団を作ろう」という意図を感じて、
それが強固なものとして迫ってきたのです。
歪みを感じたシステムの中で、それを媒介する教師という役割を
生涯の業とすることに抵抗感を覚えました。

ベンチャーへの転職、そして起業

そんな経緯で、周りの仲間がみんな教師になっていくなか、
私だけが民間企業への就職活動をすることになったのです。
しかし私自身もそれまで教師の進路を目標にしてきたので、
就活に関する知識や戦略はほとんどありませんでした。
とりあえず送られたカタログや今よりはるかに情報が少ない就職サイトの中から、
忙しくても自分の成長が早そうな会社を3社選びました。
出版社とシステム会社と不動産会社だったのですが、
その中から直感で1つ目の職場である不動産会社に決めました。

その会社では営業を担当していました。
人に恵まれ、会社に特別不満もなく、楽しく勤めていましたね。
しかし、3年経った頃から本格的に自分のキャリアについて考えるようになり、
このまま定年まで営業のスペシャリストとしてこの会社で働くよりは、
もっと仕事の幅を広げようという気持ちが自分のなかで強くなっていきます。
結果として、入社4年後に会社を辞め、転職しました。
転職先は、医療人材系のベンチャー企業。
ベンチャーを選んだのは、その方がいろいろな経験ができるだろう、と思ったからです。
この会社で、起業するまでの7年間を過ごしたのですが、
新規事業開発や人事など、期待どおり幅広い経験ができました。

50代になっても夢中になれる仕事を

30代になったら起業してみたいということは、
漠然とではありますが、かねがね思っていたんです。
仕事のなかで事業のヒントを見つけしだい、独立するつもりでした。
ところが、実際に30歳になってみると、
会社は東証一部に上場するまでになり仕事も充実し、家族もできて……
という周りの状況の中で、起業は頭から薄れていました。

一度も起業をチャレンジせずに人生を終えたら後悔しないか自問し、
60歳くらいになったときに30代を振り返ったら、
いくらでもリスクとってチャレンジできたな、と思えるんじゃないかと思い、
事業が決まっていない段階で、思い切って会社を辞めてしまったのです。

それから半年間は、思いつく様々な領域の企画を立てては、
形にしようとする模索の日々でした。
今思えば、利益うんぬんというよりも、自分が本当にやりたいことを探す期間でした。

私が会社を辞めた大きな理由に、
50代になってもイキイキと仕事をしていたいという思いがあります。
私個人の実感として、50歳や55歳になっても、
イキイキと仕事している人は極端に少ないと感じるんです。
歳を重ねると柔軟性が乏しくなったり、フットワークが鈍ったり、
若い力が台頭したりと、いろんな理由があると思います。
企業に所属し続けることはぜんぜん構わないと思いますが、
自分が生涯夢中になれる仕事を、自分で切り開きたいと考えました。

そういう風に考えたとき、さまざまな候補のなかから自然と定まったのが教育事業でした。

探究型学習で子供を伸ばす

現在運営しているアフタースクールの「レアレア学童スイッチスクール」は、
学童保育の機能を中心に据えて、教育活動を行っています。
学生時代に日本の教育に感じた違和感を受けて、
欧米の教育現場で用いられている「探究型学習」を取り入れたものになっています。
詰め込み式の教育ではなく、子供が夢中になって取り組む活動をとおして、
全人的な成長を促すものです。
公教育を変えることは難しいですが、放課後なら自由度高い活動ができます。
私対は、放課後を活用して教育の新しい常識を創って行く。
これが事業方針です。

アフタースクールは今後、都心部を中心に増やしていく予定です。
今は1校だけですが、2018年の段階で15校展開するのことを目標にしています。
それから、習い事のマーケットの中にも踏み込んでいきたいと思っているんです。
今は民間学童での教育の一環として、
プログラミング教室や探究型の教育プログラムをやっているわけですが、
今後はその部分に特化した習い事教室も作りたいという考えでいます。

それからもうひとつの大きな方針として、
財団法人を設立し、オルタナティブスクールを運営していくという計画があります。
株式会社の組織形態では、やりにくいことがあるんですね。
株式会社と財団法人の両方を活用して、互いに補いながら、
社会に求められる教育事業を展開していけたらなと思っています。

「子供が好き」以外の3つの基準

弊社はまだ設立して2年に満たない新しい会社です。
従業員も今のところスクールのスタッフが私を含め7人、
加えて財団設立担当が1人、という規模になっています。
保育の仕事なので、実際に保育士や教員免許を持っている人は歓迎ですが、
採用に当たっては3つのことを意識しました。

まずは弊社のビジョンや経営理念に共感してくれること。
それから誠実さと柔軟性がある人。

そしてもうひとつ、子供と一緒に過ごすスタッフとしてやってもらうわけですから、
子供に愛情を持って接することが必要になります。
しかしそのときに、単に「子供が好き」というだけでは仕事はうまくいきません。
子供たちの方からも親しまれるような人物でなければいけないんです。

そういう意味で、自然体で子供と触れ合えるか、それを子供達が受入れてくれるか、
ということをすごく重視しています。

採用選考のときに、実際に子供と接してもらっています。
なかには肩に力が入って、すごくハイテンションに接してしまう人もいました。
そうではなく、その人の自然なスタンスで子供とコミュニケーションできるか、
それに対して子供たちが親しみを持てるかということが重要です。
今後の採用の際にも、この3つを満たしていることが基本的な基準になると思います。

株式会社Genten Links 代表者 小林英二

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代表者 小林英二

代表者 小林英二

設立 2009年6月5日
事業内容
    • 有料職業紹介事業
    • Web集客プランニング事業
    • Web広告運用代行 ・SEO対策
    • LPO/MEO・Webサイト制作・アフィリエイト
会社HP http://www.genten-links.com

バンド熱中時代

大学は1年の前期が終わった時に辞めました。
高校時代から始めたバンド活動を本格的にやっていくためです。
それからはメジャーデビューを夢見てアルバイトとバンド活動に明け暮れる日々を送りました。

そもそもバンドにのめりこむようになったのは文化祭がきっかけ。
友達から「シンセサイザー弾けるやつがいなくて困ってる」と相談を受けたことから始まったのです。
それから本番まで練習を重ね、いざステージに立って音をあわせたあの感覚…。
観客と演奏する側が一つにまとまる一体感にすっかり虜になってしまったんです。

本気でスーパースターになることを考えてやっていたのですが、
現実はそうそう甘くもありませんでした。
そこそこ有名になってCDも出しているようなバンドでも
音楽一本で食べていくのは厳しいという現実が見えるようになり
「テレビで騒がれているような人たちは本当に一握りだけなんだ」と
現実とのギャップに次第にメジャーデビューへの熱が冷めていくのが自分でもよくわかりました。
大学を辞めてから月日にして10年、年齢は28歳になっていました。

組織としての理想を追い求めて

それから飛び込んだのが営業の仕事でした。
それまで社会人経験は一切なし、職歴と言えるのはアルバイト程度しかありませんでした。
そんな人間を雇ってくれるところは当然大企業ではなく、小さなベンチャー企業でした。
コピー機やインターネット回線を販売するため、飛び込みでの営業がメインでした。

営業マンにはノルマも課されていました。
当然そのノルマも生易しいものではなく、数字を達成できない厳しさから
入ってほどなくして辞めていく人もたくさんいました。
離職率が高く、人が定着しない、まずはこの状況を何とかして変えないとダメだと思いました。
そこでまず考えたのが社内で「偉くなる」ということでした。

当然役員や、役職が付けばそれ相応の権力を与えられるわけなので、
社内の制度をひっくり返すにはこれしかないと思いました。
そうと決まれば仕事に集中です。
入社3カ月から半年で部下3人がつくまでになり、1年後には15人ほどの組織の責任者に抜擢されました。

しかし相変わらず離職率は高いまま。
会社の体制を変えようととにかく仕事に打ち込むも、気づけば会社は120人の規模に。
そんな会社を変えるのは簡単ではありませんでした。
そんなことをしているうちに、次第に”自分なりの理想の組織像”が明確になっていく。
ある日唐突に、自分で理想の組織を創ればいいんだ、と思い立つ。
その時、すでに会社を飛び出していました。

現在の事業に至るまで

28歳で初めて就職し、その会社を辞めて今の会社を立ち上げたのが30歳。
決して早いスタートを切ったというわけでもありませんし、順風満帆に来たというわけでもありません。
ただ、理想は一人一人がイキイキと働ける組織を作ること。
そのために会社を立ち上げたので、
「この事業で勝負するぞ!」という具体性はありませんでした。

独立の手はずは整ったのですが、事業内容が決まらない。
営業マン時代は毎日のように部下や後輩にメシを奢ったりしていましたので、貯金もない。
あるのは借金だけ。
いかに初期投資をかけずにできるビジネスはないかということばかり考えていましたね。

そこで思いついたのがHPを作って何かを売ってみること。
窮地に追い込まれて絞りに絞り出した案でした。
HP制作会社に頼むお金すらなかったので、独学でHP作りを勉強。
この時の勉強が今のwebマーケティングノウハウにつながっているんだと思います。

第一号は自転車ブームにのっかって、
フレームからハンドルまで思い通りの自転車を作ることができるサイト
「オーダーメード自転車ドットコム」を開設。
オリジナルの1台が作れるということもあって反響はかなりありました。
ただ、お金に結びつきませんでした。
知り合いの職人さんに委託して製作してもらうつもりだったのですが、
忙しい人で納品までに納期に時間がかかりすぎてしまう。
ビジネスとしてやっていくのは難しいと判断し、結局閉鎖に。
アイデアは良かったのですが、事業化することができませんでした。

最後までお客様のために

今の事業に辿り着いたのには偶然的な出会いから。
その方はいくつも会社を所有している社長さんでした。
「1つ休眠会社があるからそこでやってみないか」
その会社こそが有料職業紹介事業をやっていた会社でした。

少子高齢化が進む日本で今後伸びるのは福祉事業だと考えた私は、
医療・介護業界に絞ることにしました。
それこそ後の医療・介護業界転職支援サービス「メドフィット」になるのですが、
HPと広告を作ってみたところ、予想通りの反響。
かねてから培ってきたwebマーケティングを駆使したことも功を奏しました。
次第に売上もたっていき、波にのってきたところで事業ごと買い取り。
Genten Linksの誕生となったのです。

メドフィットの特色としては看護師、薬剤師などの大手が扱っている職種以外の
もっと細かなニーズにも対応できる点です。
例えば診療放射線技師、言語聴覚士、視能訓練士など、さらに専門性を掘り下げた職種にも対応。
求人側と求職者とのニーズを適切に結びつけることができるのです。

そしてさらなるこだわりは業務が分業化されていないこと。
職業紹介はエージェント次第だと言っても過言ではないと思っているため、
求職者へのケアは手を抜きません。
1人の専任担当者が登録する段階から医療機関とのマッチングまで一貫して行いますし、
入職後のアフターフォローも欠かさず行います。
その結果ミスマッチングは減り、定期的な連絡を取り合うことで求職者にも安心感が生まれます。
ひいてはそれらが離職率の低さだったり、求人企業側からの信頼につながっているのだと思います。

未来にワクワクする

今後についてはさらなる成長をと思っていますが、
今の事業だけにこだわるつもりはありません。
働く社員たちから「こういうことやりたい!」「こんなのどうですか?」という声があがれば
メリットや社会的価値などを考慮した上で積極的に吸い上げていくつもりです。

その例として昨年10月にキャリアカラーという子会社が誕生しました。
一般企業向けに人材派遣、紹介予定派遣、人材紹介の3つのサービスを提供している会社です。
少し変わっている点としては障害者の就労支援サービスにも力を入れていき、
より効率的でフレキシブルな対応ができる企業を目指している点です。

取扱分野にはメドフィットでもおなじみの医療・介護系から医薬・バイオ関連の研究開発。
治験モニター・統計解析等の臨床開発、建設・電子設計・ソフトウェア関連のエンジニアリングまでと
専門性の高い分野に特化しているのも特徴的です。

この先もやりたいことをやり続けることで自然と大きくなるものだと思っていますので、
とにかくまずはやってみようという精神を大事に、
創業当初の理念に沿って社員一人一人がイキイキと働く環境を整えていくことが
経営者である私の役目だと思っています。

楽しめ!

どんな業界、どんな仕事に対しても共通して言えることだと思いますが、
人として素直であることが大事だと思いますね。
嘘をつかず、謙虚な姿勢を忘れない人。
こういった人は信用されますし、どんな時代になっても大事な要素だと思います。

そして伸びる人、成長する人というのはやっぱり仕事を楽しめる人ではないでしょうか。
寝ても覚めても仕事のことを考えてしまう、プライベートとビジネスモードの境目がないような人は
やっぱり必然的に結果が付いてきますよ。

細かいことを考えずに好きなようにやってみてください。
頭で考えるより実際にやってみる、行動に移してみる方が結果も出ますし、
課題も見つかりやすいものです。
なるようになります。
仕事もプライベートも人生を楽しめるかどうかはあなた次第ですよ!

株式会社アシロ 代表取締役 中山博登

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代表取締役 中山博登

代表取締役 中山博登

設立 2009年12月
事業内容
    • インターネットメディア事業
    • Webマーケティング事業
会社HP http://www.asiro.co.jp
離婚弁護士ナビ http://ricon-pro.com/
浮気調査ナビ http://uwaki-pro.com/

自分に合った会社とは

仕事はより当事者意識を感じれる環境でやったほうが「オモロイ」
商いは「飽きられたらアカン」「飽きたらもっとアカン」
こんな言葉を、小学生ながらに聞いて育ったせいか、
将来は経営者にならなくてはいけないのだと中学生頃から考えるようになりました。
しかし、大学卒業後にすぐに起業という事もしませんでした。
まずは、その起業に至る経緯をお話しいたしましょう。

学生時代の私は、営業のアルバイトを行っていました。
どうせ同じ時間を使うのであれば、飲食点などよりも
将来的に役に立ちそうな仕事をしておこうというふうにと考えていたんだと思います。
とはいえ、起業できると確信できるほどの自信をその職場で養うことは出来ませんでした。

そんなある日、その当時に仲良くして頂いていた先輩に将来の事を相談した時の事。
その方から、リクルートという会社が「私に向いている」と紹介して下さったのです。
「向いている」などと言われたら気になって仕方がありません。
ひたすらにリクルートのことを調べましたね。

しかし、結局リクルートの面接を受けることすらしませんでした。
説明会に参加して、ずらっと並んだ学生を見た時、
「少し違うな」と違和感を覚えてしまったのです。
そんな中、ある雑誌で、リクルートが「人材輩出企業」として紹介されているのを見つけ、
一つ行動を起こします。

物ではなくヒトで仕事を頂く

雑誌で紹介されていたのは、その会社が輩出した起業家達。
私が起こした行動とは、その全員に会いに行く事だったのです。
私の、すこしひねくれた性格のせいでしょうか。
大本ではなく、その枝分かれを狙っていく事にしたのです。
その結果、その別れた枝の、さらに別れた所に就職を果たす事となります。
大本とは規模が大きく違う、当時の社員数20人程の場所が、私の職場となりました。

私が就職の時に考えていた事は、物ではなく人の力を重視する業界を選ぶという事。
物を売ってしまうと、それは物の力に頼ってしまう。
それよりも、自分の力を使う業界で能力を生かしていきたかったのです。
その結果、人材という場所へと足を踏み入れる事となりました。

結果として人という力に頼っている事は事実なのですが、ここで私は多くを学んでいくこととなるのです。
今思えば、それなりのわがままも言っていましたね。
やりたくない事を避けながら、その中で営業を一層学んでいく事となるのです。

二重苦からの脱出

そんな私に、転職の機会が訪れます。
担当していたとある会社が、どの様な媒体でも採用が上手くいかないというのです。
それならば、と私が提案したのは雑誌を作るというもの。
大学の就職課に、雑誌を作って送り込んでしまいましょう。
そう言って、話に乗った会社と共にその案を実行しました。
簡単な5,6枚の雑誌ではあったのですが、見事に失敗(笑)
ただ、その失敗により新たなステップを踏むことが出来たのです。

その後も、様々な経験を通して、学びを、そしてステップアップを踏むことが出来た私は、
ついに起業を決意します。
しかし、そこに格好いい理由なんてありません。
当時は丁度25歳。
既に結婚していた私は、会社で上司に叱られ、家では嫁に叱られという二重苦を味わっていました(笑)
会社でも家でも辛い環境に耐えられなかったのですね。
「片方を切ってしまおう。」それが私の起業の時でした。

親も常に起業しろと言っていた事もあり、今思えば丁度良いタイミングであったのだと思います。

自分がやればもっと良いものが完成する

ビジネスモデルも明確でなかった当初は、完全にフリーとして始まります。
とは言え、その中でも今現在の会社の形は潜在的なものとして頭の中にありましたね。
ただ、実行するにはあまりにも経験が不足していました。
ネット系の商材を売った経験のない私には、
仮説は立てられても実証することが出来ていなかったのです。

それでも自分が食べていくには全く問題ありません。
しかし、そうも言っていられない出来事がやってきました。
それは社員の入社。
自分だけでなく、社員の仕事を考えた時に、パッケージとして売れる商品が必要になったのです。

それならば、仮説を実証する方法を手に入れよう。
その考えもあって、代理店として様々な会社を回り、ネット広告を売らせてもらいました。
方法が手に入ったのならば、後は実行あるのみです。
様々な会社をめぐりながら得た確信の元に、私は行動へと移します。
自分がやったら、もっといいものができる。
その確信が、今の事業を生み出す事を可能にしたのです。

世界は変わる

世界を変えたい。
この業界にはその様な想いをもって起業するような人が多く集まっていますが
私は現在時点で世界を劇的に「変える」ビジネスプランを持ちあわせていないので
一切そういった事を宣言するつもりはありません。
ただ、世界がより良い方へと「変わる」一翼を
ほんとうに小規模ながらも担えるとは信じてはいるのです。

私が行う事が直接的に世界を変えるようなことではなくとも良いのです。
ただ、私が目の前のお客様を幸せにする。
そのお客様が他の誰かを幸せにする。
それが積み重なる事で世界はより良い方向へと「変わる」のです。

その意味もあって、現在では将来的に上場したいといったことも全く検討しておりません。
目の前のお客様からすると我々が上場するのかどうかは全くもってどうでもよい話。
しいて言うなら上場するためのコストが増えるため
目の前のお客様へと利益を還元しづらくなってしまいます。

目の前のお客様をできうる限り幸せにするという我々の考え方に反するためです。

自己分析なんていらない行動しろ

僕は書いて字のごとく、「人と人との間」に入って初めて人間が存在できるのではと考えております。
そうであるならば、自分という人間は、
外部との接触によってしか明らかにならないものではないでしょうか。
ならば、より多くの人に会い、より多くの人と対話することでこそ、
自分が何者なのかを見いだせる可能が高まると考えます。

そして、これから社会に出ようとしている皆さんは、よく「安定」という言葉を使います。
ですが、その安定とは何ですか?
自分で稼げる力を身に着ける事が安定なのか、公務員になる事が安定なのか。
人によってその定義に差が生まれてしまっています。
はっきりと、その言葉を定義することは出来ているでしょうか。

必要なのは、自分の考えや言葉を定義していくことです。
人になんと言われても良いから自分の言葉を見つけることです。
なりたい自分が定義できないなら、なりたくない自分を定義することはできるかも知れません。
ふわふわしていたらあっという間に時は過ぎます。
人がどう思うかなんて考え方は一切捨てて、自分だけの言葉を定義してつくっていきましょう。
このインタビューを読んだ方に少しでも良い影響を与え
その方が幸せになることを心から願っています。

プレイライフ株式会社 代表取締役CEO 佐藤太一

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代表取締役CEO 佐藤太一

代表取締役CEO 佐藤太一

設立 2013年6月
事業内容
会社HP http://playlife.co.jp

働く事は楽しい事

「今までの人生で一番楽しかったことは何でしょうか。
 それは、テストで1番になったり、お金をたくさんもらったり
 会社で偉くなったり、そういうことではない。
 もっとシンプルに子供の頃みんなで近所を駆け回ったように
 いつもの仲間たちと一緒に思いっきり遊んでひとつになれる瞬間。
 この「遊び」こそが、私の人生で自信を持って言える一番楽しいこと。」

PlayLifeはまさに人生を楽しみたい想いをカタチにしたものです。
まずは、このPlayLife誕生までをお話ししましょう。

代々炭鉱の経営をしている家庭に私は生まれました。
特殊な業界でありながらトップレベルの結果を出している会社でした。
その中で幼い私は、その炭鉱へ幾度となく遊びに行くわけです。
炭鉱で働く山の男たちはみんな私に優しくしてくれて、
みんな笑顔で力強くて気持ちよい人たちです。
「働くって楽しいんだ。」
会社というのはまさに学校の大人版みたいなものだ。
その場で働く人々と触れて得た想いでした。

そして、同時に起業に対してもあこがれを覚えます。
自分の世界観を体現できる場所、より自由自在に動ける場所、
それが起業することなのだと、子供ながらに考えていたのです。

しかし、幼い身ではビジネスのことなど頭にはありません。
描いた夢は、世界を飛び回って、その地域に住まう人々の力になるというもの。
その想いを持ったままに、大学では紛争処理、戦争論、安全保障などを勉強しました。
卒業後もアメリカへ渡り、国連職員を多く輩出する大学院へ通う事となります。

今しかできない自分にしかできない一番やりたいことをやる

しかし、現実は理想とはかけ離れていました。
政治、宗教、民族、法律、経済的な問題から
国連職員の仕事は大きく制限されてしまい、
とても問題の根本を抜本的に解決することができないのです。
手を伸ばせば届くのに何もできずに死にゆく命を目のあたりにしました。

そこで、私は考えました。
「自分が本当にやらなければいけない事は何か?」
「本当に今しかできない事は他にあるのではないか?」
「自分の力で直接世界を変えることできものは何か?」
さんざん悩んで導いた結論は、
「今しかできない自分にしかできない一番やりたいことをやる」というものでした。

そこで思い立ったのは、小学校の頃から大好きだった音楽の世界入ることでした。
そして音楽業界について学ぶうちに見えてくるのは、
課題が多い音楽ビジネスの構造そのものでした。
「もっとビジネス全体を俯瞰してより最適なモデルに変革する必要がある。」
そう考えた私は経営コンサルティング業界へと足を踏み入れます。

最初の3年間は経営コンサルティングの基礎と実践スキルを手法を学ぶ準備期間と決めて、
戦略、財務、業務、IT、人、組織、文化等、
会社を構成する要素に対して幅広くかつ深くアプローチするには、
外資系かベンチャーだと考えていました。
外資系からスピンアウトした経営コンサルティング会社で約3年間、
人間力ある素晴らしい人とプロジェクトにも恵まれ徹底的に仕事に取り組みました。

その3年後、次は成長著しく優秀な人たちが多い場で挑戦したいと思うようになりました。
「コンサルタントという第三者がではなく、自分が主体となれる事業会社で会社の成長をさせたい。」
縁もありながら就職が決まり、新たなステージがスタートしました。

最上級の舞台で挑戦する日々

その会社で私が担当していた業務は、
経営層直下の特命プロジェクトでした。
困難なプロジェクトで短期間で成果をあげなければならないものでした。
約1年間そこで働いているなかで、
様々な課題に対して最適な解決策を実現できるためには、
もっとたくさんのベストプラクティスを体験すべきだと考えるようになりました。
最上級に高いレベルのビジネススキルを得て将来の起業に活かそうと思いました。

そこで外資系の戦略コンサルに転職することになりました。
世界レベルのビジネスノウハウと優秀な人材がそこにはいました。
しかし、そこは学びの場でありながら、多忙を極める場でもあったのです。

睡眠時間や自分の時間がほとんどなく、
とにかくタフなプロジェクトで仕事漬けの毎日でした。
ようやくプロジェクトが終わった時、
達成感よりも自分への大きな疑問と喪失感でいっぱいでした。

極限状態で気づきと狂気の果てに目指した世界

「最強のビジネスマンになろう。」
そう思い描いて働いてきた自分のこれまでが、虚しいものに思えたのです。
様々な事を考えていた私ですが、この時ですね。
本当に自分が楽しいと思えていた事、人生で一番楽しい瞬間はなんであったのかを振り返りました。

そこでようやく気付いたのです。
『「いつもの仲間たちと思いっきり遊んでみんなでひとつになる。」
 それが私の人生で一番の幸せだ。
 ならば人生を遊び倒せるようなサービスを創って、
 たくさんの人たちが毎日楽しく遊べる世界にしよう。』

そう決心したとき、私の体は駅のホームに横たわっていました。
あまりの過労で、体が限界を迎えていたのです。

入院中、不思議と夢の中で遊びの世界をどうやって形にしようか考えていました。
そして無意識のうちに寝ながらビジネスのコンセプトやプランを組み立て、
目を覚ました時に、看護師さんに紙とペンをもらい一心不乱に事業計画書を書いていました。
そして退院してそのまま家にパスポートを取りに帰り、
その日のうちにシリコンバレーへ直行しました。
「命がけでようやく見つかった自分のアイディアをIT先進国アメリカで磨き上げたい。」
その思いを胸に、facebookやgoogle本社の前で社員を待ち構えてプレゼンしたり、
とにかくがむしゃらに一心不乱に自分のアイディアをビジネスプランに昇華させていきました。
「世の中の遊びに革命を起こすためには、生半可な思考や気合や行動ではいけない。
 努力と熱意、あるいは狂気をもってこの革命のために自らを犠牲にしよう」
と決めたのです。

人生を遊び倒そう

「みんなを楽しませる遊びのプラットフォームを創造したい。
 一緒にいて楽しい仲間のコミュニティを形成したい。
 そして圧倒的に自由で楽しいライフスタイルを実現したい
 この三本柱を軸に、人生を遊び倒せる世界を創っていこう。」
倒れてから約三年間が過ぎ、ビジョンに共感する仲間も集まりました。

私達は
毎日を遊びで彩りたい。
週末だけではなくて平日の仕事や学校終わりでも、
いつもよりもっと楽しいワクワクする遊び方を提供していきたい。
そしてその遊びの思い出をみんなで共有して、
笑顔の連鎖を生んでいきたい。
という思いで取り組んでいます。

「人生を遊び倒そう。」
これは、これからも変わらず追い続けていく理念となるでしょう。

自分の原点を追求する

もう一度、最初の質問を繰り返しましょう。
今までの人生で一番楽しかったことは何でしょうか。
この質問の答えは、皆さんの中の「原点」を見つけるものとなるでしょう。
私の場合はお話したとおりです。
イメージは子供の頃に近所の友達と秘密基地を作ることに近いでしょうか。
設計図とは思えない落書きを書いて、
廃材を集めて、木を伐り、釘を打って、
みんなでひとつになって無我夢中に秘密基地を作る。
出来上がるのは完璧な物でなくてもいいのです。
雨漏りをしていてもかまいません。
仲間たちとひとつになって遊んでいる瞬間が、
私にとっては何よりも楽しいのです。

みなさんの中にはどんな楽しいことがあるでしょうか。
その原点を見つけたのならば、
あとはそれを徹底的にやるだけです。
何よりも楽しいと思える事を大事にすることが、
何よりも必要なのだと私は考えています。

原点に立ち返って一番楽しいことを仕事にして旗を振りましょう。
その旗に集まってきた仲間と共に徹底的に遊びまくる。
私たちは遊びの力で不可能を可能にしていきます。

株式会社エフォーション 代表取締役 植田昭洋

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代表取締役 植田昭洋

代表取締役 植田昭洋

設立 2011年11月
事業内容
    • システムエンジニアリングサービス事業
    • インターネットメディア事業
    • スマートフォンアプリ開発事業
会社HP http://efourtion.jp/index.php

社長になった3つのきっかけ

何故私が企業、創業と云う途を選んだか、と問われたら
これまでの自分の生い立ちや環境が大きく影響を与えた、と云っても過言ではないでしょう。

最初に想う浮かぶのは
子供の頃、経済的に決して裕福とは云えない家庭環境で育ったことでしょうか。
物質的な豊かさに恵まれはしませんでしたが、そのことは私の中のハングリー精神を育み、
一寸のことではへこたれない強い精神力を与えてくれた、と云えます。
その一方で、いつか自分が家庭を築く時には
自分の家族には同じ様な体験をさせたくはない、と云う想いが芽生え、
それは 私自身が財を成す、経済的成功を収める、
と云うことに対する意欲につながっていることは否めません。
しかし、だからといって、ただ金持ちになれれば好い、と考えていた訳ではありません。
自分のなすこと、生業とすることが、
どんな形であれ人様のお役に立てる様な“価値”、“意味”や“意義”のあるものであることが大前提で、
その上で経済的見返りをもたらしてくれる職業はなんだろう、と子供心に真剣に考えました。
その結果、思いついたのは、
医師になり、より多くの人の命を救う手助けを仕事、生業にするか、
アーティスト、エンタテイナーとして大勢の人の前に立ち、
華やかなスポットライトを浴びる中でより多くの人々に感動をもたらすことを仕事、生業にするか、
または 自ら起業・創業して、
世の中に必要とされる、望まれる何かを成し遂げること、を仕事にするのか、
選択肢はこの3つでした。

残念ながら当時の私の経済状況は、
必要とされる学費等の観点から医師を目指す途は断念せざる得ませんでした。
次に、アーティスト、エンタテイナーとなる、と云う選択肢に於いては、
その成功までの道程の不透明さ、不確実性などを鑑みた時、
自分自身の才能はスポットライトの下に立つこと、よりも、
そのスポットライトの下に立つ大勢の才能豊かなアーティストをプロデュースする方が得手である、
と云うことに気がついたのでした。
結果、消去法的に エンタテインメント領域に於ける起業・創業という道が拓けて来たのでした。

二つ目の出来事はまだ高校に通っていた頃、
父親が脱サラして起業し、しかし、その3か月後に病に倒れ、
結局、折角興したばかりの事業を畳まなくてはならなかった様を
まざまざと見せつけられたことでした。
この時の経験は私に、
人の一生、人生とは儚いものだ、と云う避けられない現実を教えてくれると共に、
父が志半ば、成し遂げられなかった分まで、息子である私が成功をおさめるのだ!
そんな決心の様なものが生まれました。

そして、『今、起業するべきだ!』と云う直接的なきっかけとなったのは、
大学を卒業して入社した会社で、薫陶を受けた社長から、
「独立、起業するなら26歳までにする方が好い」とアドバイスを頂いたことでした。
尊敬する人生の師、ビジネスの大先輩から受けたこの言葉が、
起業を決意する上で私の肩を強く押してくれました。
アドバイスのとおり、就職して3年目、25歳の12月、それまでお世話になった会社を退職、
志を同じくする同期の仲間と二人で、年明けを待って、
自宅兼事務所から起業家としての第一歩を踏み出しました。

震災を機に方向転換

今、我が社の主軸事業の一つである人材紹介事業、
中でもシステム・エンジニアリング・サービスは、
私が起業するまでの間、サラリーマンとして勤めていた時に
自ら従事、経験したビジネスが基盤になっていますが、
実は設立当時は、アイドル発掘・育成メディアの開発という、全く別の事業に力を注いでいたのです。
当時はAKB48が流行り出した時期で、自分も同じことをすれば軌道に乗るんじゃないか?
そんな軽い、ノリの様なスタートでした。

ところが、その矢先に東日本大震災が起こり、
日本全体が未曾有の事態に巻き込まれてしまいます。
大勢の尊い命が失われ、国中が悲しみ、そして将来に対する不安に苛まれていたそんな状態の中で
アイドルに浮かれる、そんな気持ちには誰もなることが出来ず、
我社のアイドル発掘事業も数ヶ月余り、全く動かない、動けない状況に陥りました。
この時期は 本当に精神的にも追い込まれていたと想います。
なんとなくフワフワした気持ちで立ち上げ、続けていたアイドルビジネスでしたが、
此処へ来て『経営者として地に足をつけた事業を行って行かなくてはならない』
と云うことを真摯に考えさせられました。 

幸いなことに
前職時代から可愛がって頂いていた何社かのクライアント様よりお声掛け頂き、
システム顧問として参画させて頂けることになりました。
それから半年間余り、がむしゃらに働き、蓄えた300万円を元手に、
ITエンタテインメント事業を中心としたエフォーション社を起業したのが
2011年初冬、自分のバースディの2日前、11月11日のことでした。

それから3年余りの月日があっという間に過ぎて行きました。 
そして 2014年春、新卒社員を9名迎え入れ、
20名余りの規模へと組織拡大するタイミングに、事業ドメインを大きく再編しました。
これまで通りの基幹事業である
人材紹介事業(有料人材紹介、特定派遣、システムエンジニアリングサービス)に加え、
広告メディア事業、ソリューション提供事業、開発受託事業、コンサルティング事業等からなる
B2B領域を掌る営業推進本部に加え、
創業ビジョンでもあったエンタテインメント、コンテンツビジネスにも本格参入するべく、
B2C領域全般を束ねる事業推進本部を新設しました。
営業推進本部としては
これまで以上により多くのクライアント企業各社、ステークホルダーの皆様に対して
『より必要とされる』サービスを提供し続けると共に、
事業推進本部の直近の目標として、
100万ユーザー規模のコンテンツを複数、ローンチする予定でおります。 
E4ブランドのエンタテインメント・コンテンツ、アプリが
皆様のお手元に届くのもそう遠くないことと存じます。
今暫く楽しみにお待ち頂ければ幸いです。

海外での事業展開、海外市場への進出はしないのか?とよく訊ねられるのですが、
国内で勝たない限り海外でも通用しないと思うので、
とにかく日本市場で績・業績を挙げることに先ずは注力して行こうと考えています。

経営者としての私自身の直近のミッションの一つに、株式市場上場と云うものを掲げています。
IPOそのものは私自身にとってはゴールでも何でもなく、
我社の発展の為に必要な事業拡大を行っていく上での通過点の一つでしかありません。
しかしながら当面の大きなマイル・ストーンとして、
それを成し遂げるべく最善手を常に求めているところでもあります。
会社が成長していくかどうかも、この数年が正念場だと思っていますが、
実際に思い描くとおりに運ぶかは、社会状況によるところも大きいでしょうね。

新卒社員の多さが強み

会社が伸びていくときのための備えは、経営者として勿論心掛けていますよ。
中でも特に強く意識しているのが、
エフォーション社の企業文化、E4と云う組織の“あるべき姿”をきちんと創り、育てて行くことです。

組織というのは、その規模の大小に関わらずあるきっかけで爆発的に成長したりするものですが、
そのチャンスが来た時、
その可能性を最大に行かせるレベルまで組織そのものの成長が追いついていなければ、
折角の機会を逸することにもなりかねません。
『機会損失を絶対にするな!
 そのチャンスが訪れた時に100%ものに出来る様に
 常日頃から準備、心・技・体の充実を怠るな!』
私が社員一人一人に常に厳しく言い聞かせている我社のモットーの一つです。

我社は、創業以来新卒社員を積極的に採用してまいりました。
新卒ばかりの ・・・
と揶揄されることも無かった訳ではありませんが、
3期目も折り返し地点に差し掛かった今、平均年齢26歳、
どんなチャレンジも厭わず、恐れない、ベンチャースピリットの固まりの様な
総勢20名余りの一枚岩の企業風土、
それが組織のあり方として、我社の絶対的な強みの一つになっている、と想っています。
若さ故、の未熟な部分、至らない部分 ・・・
例えば、正しい日本語の使い方や挨拶の仕方といった、社会人としての基本的な所作一つから、
若い社員達と、入社したその初日から問題意識を共有し、
同じ目線で、自発的な気付き、成長を促すことで
己を改善して行く、その取り組む姿勢が、日々、少しずつ整いつつあるので、
会社の規模が今の倍にも、3倍にも、と大きくなる頃には彼らが中核を担い、
今以上に“良い組織”へと発展させていってくれるはずです。
社内の雰囲気も、若い人間が多い分活気がありますし、
企業の文化という点では非常にいい根付き方、育ち方をしているのではないか、
と自負しています。

歴史に名を残す企業に

創業する際、その社名を考えるにあたり、
『エンタテインメント』のE、と
我社の行動規範である Evolution, Revolution, Innovation, Sensationの4つの”tion”を取り、
E4、エフォーション、と名付けました。
そして、その創業理念は『歴史に名を残す企業になる』、と云うことでした。

私は創業者ではありますが、その寿命はいつの日か・・・
人の命は尽きることはあっても、
企業が何かしら、社会に必要とされることを事業をやり続けることが出来れば、
世の中はエフォーションの存在意義、を認めてくださることでしょう。
そのことを考えると、私が生まれてきた意味を、自らが創業・起業した
会社で歴史に何か足跡を残すという形で確かなものにしたい、
と改めて思うんですよ。

やけに抽象的な話になりましたが、
企業の理念というものは会社が大きくなってからも、
創業者の思いをそのまま表しているべきです。
だから、「歴史に名を残す企業を創る覚悟はあるのか?」、
そこからはぶれずに、歴史に名が残るべく偉業を成し遂げる様、
会社として、創業者として、大きく掲げていくつもりです。

日本一のエンターテインメント企業へ

私は元々エンターテインメント・ビジネスに興味があって、
就職活動の際にもレコード会社の入社試験を受けていたくらいです。
起業して、先ずアイドル発掘・育成の事業を立ち上げたのも、
それが自分のしたいことだったからですし、
現在のメイン・ビジネスであるIT・モバイル系の事業についても、根本のところでは人を楽しませたい、
ということに尽きますね。

もちろん最初から自分の望む事業にステップアップできるわけでもないので、
会社の基盤を整備しながら一歩ずつ着実に、という方向性で今は進めています。
事業規模としては人材紹介系のサービスが現状、主軸事業になっていますが、
一つ一つ環境を整えつつ、
総合的なITエンタテインメント企業へと移行している真っ最中だといえるでしょうか。

2027年までには、これまでに皆さんが観たことも無い様な
「日本一の総合エンタメ企業」なります!

志高く人間性を極めよ

これから社会へ羽ばたこうとされる皆さんに求めたいのは、何よりも志の高さです。
人は、成長したいと自分自身が望み、欲し、
そしてそれに見合うだけの努力をした分か、それ以下しか成長しないものです。
皆さん一人一人の目標の高さ、意識の高さ、努力の量、情熱といったことが、全部そこに含まれます。
自分自身が誰よりも優秀で、歴史に名を残せる偉業を成し遂げれると信じている人が、
その志を遂げるための“場”として「エフォーション」を選んでいただければと願っています。
皆さんにお逢い出来るのを楽しみにしています。

あとは人間的な素直さ、謙虚さ、という部分ですね。
能力の高低、自信の有無とは別に、素直で真面目であるほど、
周りの人の技術を吸収して成長していくことができます。
当たり前のことですが、人としての基本、が備わっていない人には、
どれだけ能力があっても期待できないですから。

そのためには、20代前半の間に、何事も厭わず、チャレンジし、
さまざまな経験を積んでいくことが大事でしょうね。
20代も半ばを過ぎれば、人間性は固まってきてしまうものです。
20歳までに苦労をたくさんすること、
そのなかで人間性を極め、志の高さを培っていくことに人生はかかっていると思います。

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